2026年2月25日(水)

酷似する 「戦間期」と現代

2026年2月25日

「兵隊蟻」として南方を転戦
戦犯裁判でも保ち続けた勁さ

 応召した陸軍でも出世を拒んだ。幹部候補生試験を受けさせられると、白紙答案を出して落第した。一等兵としてフィリピン、マレー半島、北ビルマ、中国雲南省、仏領インドシナ(仏印)を歩いた(最終位階は軍曹)。もし三高を卒業して、帝国大学と進んでいれば、下級将校─とはいえ「当番兵」という身の回りの世話をする兵がつく─になれたにちがいない。

 そうしなかった古山の姿は、同世代の『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)の著者である吉田満のそれと対極にある(比較に優劣をつける意図はない)。

 吉田は東京帝国大学を繰り上げ卒業後、海軍入隊。将校として戦艦大和に乗り組んだ。「劣等兵になるまいと努力し、士官(将校・筆者注)の道」を選び、「祖国と同胞を守る使命に、青年の生き甲斐」(吉田)を見出そうとした(「書いても書いても書いても……」)。

古山高麗雄(1920~2002年)。朝鮮・新義州生まれ。50歳で芥川賞を受賞した(JIJI)

 古山は後年、短編「蟻の自由」に書いた「自分たちは虫けらみたいだと自嘲」するような、下級兵士たちのことを繰り返し作品にした。だが当時は同じ境遇だからと周囲と親しむことも、同調することもなかった。

 昭和の陸軍は、兵卒の階級に関していえば、白米を入隊後初めて食べた者、文字が書けない者もいるような組織である。富裕な出自、中退とはいえ高等学校に進んだ古山に通じるものはない。農村出身の屈強な者に囲まれると、都会育ちは膂力に劣る。行軍すれば遅れた。軍隊は必然の落伍の場であった。

 古山は仏印でフランス人の俘虜収容所を管理する部隊に転属した。理由は役立たずだからである。これも落伍である。フランス語ができたからそこでは通訳を務めたのだが、諍いごとからフランス人軍医大尉を平手打ちし、戦犯容疑の原因をつくってしまった。

 日本の降伏後、戦犯容疑でサイゴン(現・ホーチミン市)の監獄へ。そこで無聊を慰める獄中芝居のための脚本を書き、演出も出演もした。ようやく落伍の境遇から脱し、周囲から一目置かれるようになる。

 獄には、上は閣下と呼ばれる将軍から下は兵まで、外交官に一流企業勤務の民間人もいた。ここでの特異な経験は、四半世紀後の70年、獄中を奇妙な明るさを以て描く芥川賞受賞作「プレオー8の夜明け」に結実する。これも選良の世界に止まらなかったがゆえのことである。

 戦犯裁判では上官が命令した覚えはないと言い、部下は命令に従っただけだと、罪の押し付け合いが生じる。それが常であったが、関係者の「裁判傍聴記」には古山のこんな言葉が残されている。

 「自分の行為は上官の責任ではなく自分の責任である」

 こんなふうに常人には言いがたいことを言う。戦前・戦中に己を恃み、「思う自由」の世界に閉じこもったのと同じ勁さがあってできることである。


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