軍部=悪、庶民=無辜
戦後の図式に同意しない古山
古山の復員は遅く、戦後に出遅れた。長く編集者として働いた。豊かな暮らしはできなかった。昔の仲間の躍進の一方で、自分は安月給に甘んじている。軍隊で味わったのと同じ、「万年一等兵」の思いがあった。
作家となってからは、戦争を書き続けた。私小説のかたちで友人や知人を実名で登場させた。
詩人の吉田嘉七もその一人である。吉田は出征中に書いた詩が『ガダルカナル戦詩集』(毎日新聞社)と題してまとめられ、ベストセラーとなった。その詩は戦意高揚に資するものとされた。
古山は短編「日本好戦詩集」で吉田を登場させる。作中でまず自身の戦争への懐旧の情を語る。食料に乏しかった従軍経験を振り返り、「飢えた状態」は「感銘の深い、懐かしい、いいものなのだ」と言って戦争を懐かしむのである。次いで高名の作家の放った「戦争は悪いには違いないが、面白いなあ」という言葉を紹介してから、こう述べる。
「反戦運動家だとか平和運動家だとかいう人たちも、心のどこかで、面白いなあと思っているのではないだろうか、と疑っている」
「反戦運動家」への皮肉に続けて戦争回顧のテレビ番組を難じる。
「詠嘆調のナレーションを聞いていると、このあいだの戦争が素敵なもののように感じられるぐらいであった」「こういうのも気色が悪い」
古山を「あまのじゃく」と形容するのは簡単だ。だが仮にそうでも、古山が好戦、反戦のいずれの時流にも乗らなかった重みは変わらない。
「日本好戦詩集」(なお、このタイトルは、吉田が送ってきた詩のタイトルでもある)の後半で、古山は吉田の手紙を紹介する。
「軍部にひきずられて戦争になったと今の子供達は習うそうですが、そんなものでもありますまい。(略)戦後は反戦主義者が多いのも気になります」
軍部=悪、庶民=無辜という戦後の図式に同意しない吉田に、古山は賛意を示したのである。
吉田の『ガダルカナル戦詩集』の詩は、戦後『日本反戦詩集』(太平出版社)と題した一書に収められた。この一事からも「好戦か反戦か」「戦争か平和か」という見方は皮相に過ぎるとわかる。戦前・戦中の好戦主義者は戦後の反戦主義者になり得るのである。
古山が「新しい歴史教科書をつくる会」の一員だったことで、彼を保守と見る向きもある。実際はどうか。例えば靖国神社参拝を重視する論は退けた。人が亡くなったあとは、空を見上げてその人を思い、心中に手を合わせればよい。そんなことを家族に語っていた。戦場で幾多の死を見た人である。墓に葬られることなく戦地に残された、無数の下級兵士のことを思ってのことであろう。
古山は戦前・戦中、戦後の獄中、復員後の落伍の経験を通して、自分と異なる出自の無名の人々を見つめ、他人を想像する心を持ち続けた。それは前述の吉田満、あるいは戦前から文学活動をしていて、戦後早いうちに世に知られるようになった大岡昇平とも異なる。
最下級の兵士、無名の人として戦争、人、世を見た経験は高みからの言葉や思考の虚妄を教えた。一兵士の視点で書き続けられたのも、常人には真似のできない落伍ゆえであった。その人となり、作品と生涯は、すべてが二分される今日、まさに知るに値するものである。
