「戦後80年という節目を前に、長野県民に戦争の歴史について調査を行ったところ、対米戦争や沖縄戦、原爆投下などの歴史に比べて、日中戦争や満蒙開拓の認識が低いことが分かりました。開拓団として渡満した当事者たちの生の声を聞くことができる今、満蒙開拓の歴史に正面から向き合いたいと思いました」
そう語るのは、長野県の地元紙・『信濃毎日新聞』記者の井口賢太さん(42歳)。2024年1月から6月まで計64回にわたって連載された『鍬を握る 満蒙開拓からの問い』の取材班キャップを務めた。
連載では満蒙開拓団経験者をはじめ、多くの関係者への聞き取りや文献にあたり、「被害」と「加害」の両側面がある複雑な歴史を丁寧に浮かび上がらせた。
『満蒙開拓とは何だったのか?今、「証言者たち」に向き合う意味』でも触れたが、戦時中、長野県からは都道府県別では最多となる約3万3000人もの県民が渡満し、故郷の名をつけた「開拓団」に入植した。地元紙として、満蒙開拓の歴史に正面から向き合った連載タイトルに込めた思いを井口さんはこう話す。
「当時や戦後の手記を見せてもらうと、『鍬』という文字がよく出てきます。上田市で撮影された、国内訓練を終えた青少年義勇軍の少年たちが、軍隊のように鍬の柄を手に行進している写真が印象的で、鍬は満蒙開拓の象徴だと思いました。一方で、鍬は土を耕し、暮らしを豊かにする道具です。覚悟を決めて海を渡り、糧を得ようとした人々の命の営みを感じる言葉でもある。そんな鍬を、手に『握る』かどうかを決めるのは、誰かではなく『自分』であるはずです」
連載が始まると、井口さんたち取材班のもとには多くの感想が寄せられた。
