第二次世界大戦後の歴史で、日本とドイツが最も異なる点の一つが、自国の負の歴史との向き合い方だ。歴史との対決(過去の清算)は、第二次世界大戦後のドイツで最も重要な社会的運動である。もしもこの国が歴史との対決を怠っていたら、他国の信頼を得られず、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に迎えられることはできなかったはずだ。
80年後の今も続く
ナチス犯罪の刑事訴追
「歴史との対決」を行う主体は政府、企業、学界、メディア、NGOなど多岐にわたる。特に日本との違いが大きいのは、ナチスによる犯罪の刑事訴追だ。
極東軍事裁判は連合国によるものであり、日本の裁判所は、第二次世界大戦中に日本軍が外国で行った残虐行為などについて、日本人を1人も裁いていない。
これに対しドイツの裁判所や検察庁は、ユダヤ人虐殺などに関与したドイツ人たちを、自分たちの手で今も訴追し続けている。連合国によるニュルンベルク裁判が終わった後も、ドイツ人がドイツ人を裁いた。
最も大規模な裁判は、1963年から68年までに3回に分けてフランクフルトで行われたアウシュビッツ裁判である。アウシュビッツ強制収容所で収容者を殺害・虐待した親衛隊員ら25人が起訴され、そのうち22人が終身刑などの有罪判決を受けた。この裁判では、元収容者のべ600人以上が、ガス室を使った虐殺に至る過程や、自分が受けた拷問などについて証言した。アウシュビッツ裁判はメディアによって大きく報じられ、西ドイツ市民に自国民の犯罪を詳しく知らせる役割も果たした。
ドイツは、ナチス関係者の訴追を続けるために、79年に、計画的で悪質な殺人(Mord)について時効を廃止した。これ以降、強制収容所におけるユダヤ人虐殺や、精神障害者らに対する「安楽死計画(t4作戦)」などに関与した者は、死ぬまで訴追されることになった。
例えば2011年には、トレブリンカ強制収容所などの看守として収容者を虐待していたウクライナ人ジョン・デミャニュク(判決時91歳)が、ドイツの裁判所で禁錮5年の有罪判決を受けた。彼は戦後米国に移住していたが、ドイツに移送されて法廷に立たされた。
