イスラエルが長年にわたり、安全保障上の最大の脅威と見なしてきたのは、イランの核開発計画だった。今回イスラエルがイラン攻撃に踏み切った背景には、敵国の核兵器保有を許さないイスラエルの伝統的な政策「ベギン・ドクトリン」がある。
6月13日に、イスラエルがイランの核施設や弾道ミサイルの発射基地などに対して攻撃を開始した。これまで11回イスラエルを訪れた筆者は、「来るべきものが来た」と思った。イスラエルがイランの核施設を攻撃するのは時間の問題だと思っていた。
2024年10月にイランが初めてイスラエルに向けて約200発の弾道ミサイルを発射した。テルアビブ郊外に住む筆者の知人(イスラエル人)は、家族とともに45分間シェルターに避難した。彼は「イランの核開発プログラムが除去されることが最も重要だ。狂信的なイスラム国家が、北朝鮮のような核保有国になることは、イスラエルだけではなく世界にとって脅威だ」と語った。
イスラエルの敵国の中で、イランは最大の軍事力を持つ。イランの指導者たちは、過去にイスラエルの存在権を否定するかのような発言を行ってきた。05年から13年までイランの大統領だったマフムード・アフマディーネジャードは、「イスラエルは中東にルーツを持たない国であり、殲滅されるだろう」と述べたことがある。
21世紀の初め以来、イスラエル市民の間では、このような発言を行う国が核兵器を開発していることについての不安感が強かった。さらにイランはイスラエルの隣国レバノンを拠点とするシーア派の民兵組織ヒズボラ(神の党)やイエメンの民兵組織フーシに軍事援助を与え、「抵抗のための枢軸」と称するイスラエル包囲網を作り上げていた。
イラク原子炉を破壊した「オペラ」作戦
イスラエルが敵国の核施設を空爆によって攻撃したのは、今回が初めてではない。イスラエル政府は80年代から、「イスラエルの敵国が核兵器を保有しようとしている場合には、イスラエルは先制攻撃によって核保有能力を破壊する」という戦略を持っている。この戦略はベギン・ドクトリンと呼ばれる。77年から83年までイスラエルの首相だったメナハム・ベギンの名前を取った。
ベギン・ドクトリンが最初に発動されたのは、81年6月7日。ベギン政権はF16―A型戦闘機など14機を投入して、イラクのバグダッド郊外で建設されていた原子炉「オシラク」を攻撃した。