2025年12月5日(金)

深層報告 熊谷徹が読み解くヨーロッパ

2025年6月20日

 「敵国によるイスラエル殲滅を防ぐ」というベギンの発言の背後には、ホロコーストの経験がある。ベギンの両親はホロコーストでナチスによって殺害された。

核兵器によるイスラエル殲滅を防ぐためのベギン・ドクトリンの背景には、第二次世界大戦中のホロコースト(ユダヤ人虐殺)の経験がある (ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡で筆者が撮影)

 ベギンは敵国が核兵器を持った場合、イスラエルの殲滅を目論むと考え、国際法に違反しても先手を打つという考えの持ち主だった。彼は歴代のイスラエル首相の中で、最も戦闘的、タカ派の政治家だった。

シリアに対しても発動

 オシラク原子炉の破壊から26年後、イスラエル政府は再びベギン・ドクトリンを発動した。07年9月6日にイスラエル空軍は、F15-I型戦闘機10機などを投入して、シリア東部のアル・キバール原子炉を攻撃し、ほぼ完全に破壊した。

 イスラエルのエフード・オルメルト首相(当時)は、諜報機関モサドの情報からシリア政府が北朝鮮の援助を受けて核兵器開発を進めている疑いを強めた。イスラエルは当時スパイが撮影した原子炉建設現場の写真も入手していた。

 オルメルトは米国のジョージ・W・ブッシュ大統領(息子)にこの情報を与えて、シリアの核開発計画を武力を使ってでも阻止するよう求めた。しかし当時米国は当時イラクとアフガニスタンで戦争を続けていたために、シリアの軍事攻撃に難色を示した。

 このためオルメルトは、イスラエル単独でアル・キバール原子炉の爆撃に踏み切った。「オーチャード(果樹)作戦」と呼ばれたこの奇襲攻撃では、戦闘爆撃機の他に電子作戦機が参加。シリア軍の防空部隊が領空を通過するイスラエル軍機に気付かないように、電子作戦機がシリア軍のレーダーに偽の画像を送り続けた。

 前もってシリアに侵入したイスラエル軍特殊部隊の兵士たちが、地上から原子炉のある建物にレーザーを照射して、ミサイルを誘導し命中させた。このようにしてシリアの核開発計画も頓挫した。

欧米で分かれる賛否

 欧米では、ベギン・ドクトリンに対する意見が二分されている。大半の政治家は、他国の核開発疑惑を外交手段ではなく武力で解決しようとするイスラエルの姿勢に批判的だ。 

 その理由の一つは、イスラエル自身が核保有国とみられているからだ。同国は決して認めていないが、欧米の政治家や軍事専門家の間では、イスラエルが核兵器を持っているという意見が有力だ。

 同国南部のネゲブ砂漠のディモナ近郊には核技術研究センターがあり、ここで核兵器の開発が行われているとみられている。同国が保有する核爆弾・核弾頭の数は数百発に達すると推定されている。

 86年に、イスラエル政府を困惑させる事件が起きた。核技術研究センターで働いていたモルデカイ・ヴァヌヌという技師は英国の新聞に「イスラエルの核兵器開発」に関する情報をリークしたのだ。彼はローマで諜報機関モサドによって誘拐されて本国に連れ戻され、イスラエルの裁判所から反逆罪で禁固18年の有罪判決を受けた。

イスラエルはヴァヌヌの「内部告発」以後も、核兵器の保有について沈黙している。同国は、核兵器の存在を否定も肯定もしないことが、敵国に対する「無言の抑止力」になると考えているからだ。

 同国政府内には、イスラエルが敵国の核兵器、生物化学兵器や通常兵器で甚大な被害を受けた場合には、核兵器の大量投入によって報復する「サムソン・オプション」という最終戦略があると伝えられる。(サムソンは旧約聖書に登場するユダヤ人の英雄の名前)


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