18世紀半ばの江戸を〝メディア王〟として駆け抜けた蔦屋重三郎の生涯を描いた大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』が最終回を迎えた。すでに年の瀬で「次の大河」に注目が行きがちだが、29日に総集編も放送されることから、「出版におけるマネー術」を通じて、ドラマを振り返ってみたい。
金々的鱗形屋の成功と退場
蔦重の幼なじみであり伝説の“名妓”として語り継がれた五代目・瀬川が1400両もの大金で鳥山検校に身請けされた安永4年(1775年)、蔦屋重三郎の本屋業としてのライバル・鱗形屋孫兵衛が『金々先生栄華夢』を刊行した。一般に「黄表紙」と呼ばれる粋で通な内容を文字と絵で楽しませる新ジャンルの文学は蔦重ではなく鱗形屋が世に出したのだ。
この本は中国の「邯鄲の夢」という「人の世の栄枯盛衰のはかないこと」をたとえる故事成語を元にしたもので、「金々先生」・「金々者」というのは、流行の派手なファッションで身を固めた、当時のナルシストなインフルエンサーを揶揄した言葉だ。
その派手な男のキラキラな成り上がりと破滅を面白おかしく描写し、最後は夢オチで笑わせる。
このセンスはそれまでの蔦重の吉原細見物でも見られなかった趣向で、蔦重としてはさぞかし「やられた」の思いで夜も寝られなかったことだろう。
ところがその直後、鱗形屋は他が版権を持つ書物を重版したことが発覚し、20貫文の罰金を課されてしまい、一強状態だった黄表紙のシェアをあっという間に失ってしまった。コンプラ違反によって墜ちた信用というのも大きかったが、罰金も深刻な影響を及ぼしたのではないだろうか。
20貫文というと約40万円程度。それほど過大な負担にも思えないが、実は当時の出版業界は思ったより脆弱な経営基盤の上で綱渡りの操業状態だったのかもしれない。
