2026年2月19日(木)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2025年12月29日

 それをまた合巻(数冊をまとめたもの)にしたり面白いところだけ抜き出したり(総集編)したものを摺って、袋に入れて2000~3000部を売ることもあったというのは、今で言うところのセレクト集のような感じと言えば良いか。とにかく版をとことん使って利益を確保していくスタイルだ。

 そして老中・田沼意次が失脚して松平定信の寛政の改革による風紀引き締め、言論統制の嵐が吹き荒れても、蔦重はそれを風刺する『文武二道万石通』(朋誠堂喜三二作)、『鸚鵡返文武二道』(恋川春町作)を続けて刊行し、大当たりを取る。後者が1万5000部というから、前者もそれこそあたり作の1万2000~3000部ぐらいは売れたと思われる。

 黄表紙の単価は1冊10文(約200円)程度。それが1万5000部売れると300万円。この積み重ねが蔦重と耕書堂を潤していった。

 だが、その身代も松平定信の逆鱗にふれた結果、蔦重は財産の半分を没収され、喜三二は筆を折り、春町は病死(大河ドラマでは自害したが、諸説あり)という、蔦重にとっては儲け以前にそれを生み出す作家たちの喪失という、あまりにも痛い成り行きとなってしまったのだ。

作家を囲い込む

 何はともあれ、彼らの穴を埋める新たな作者を確保しなければ立ち行かない。寛政3年(1791年)、蔦重は山東京伝に洒落本3冊に「作料」(執筆の手付金)を払う。

 その額、金1両と銀5匁(合計約22万円)。京伝はそれ以前から原稿料を受け取るプロ作家だったが(それ以前の喜三二など武士兼戯作者は原稿料を取らない「趣味」「余興」としての作家業だった)、競争が激化する中で新鮮なネタが求められ、すぐそのネタが陳腐化する中では、重版による儲けはそれほど期待できなくなり、薄利多売の新作を次々に出していくために蔦重は手付金を払って作家を確保したのだった。

 それに加えて高コストな萌黄色(黄緑)の印刷による表紙を安価な黄色に変更するなどで、果敢に出版の大海原で耕書堂の舵を取り続けたのだ。

 おっと、ちょうど拍子木が鳴ったので、これにてお終い。

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