オトナの教養 週末の一冊

2016年2月14日

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中村宏之 (なかむら・ひろゆき)

読売新聞東京本社調査研究本部 主任研究員

1967年生まれ。91年、慶應義塾大学経済学部卒、読売新聞東京本社入社。福島支局、立川支局、経済部、政治部、ロンドン特派員、米ハーバード大学国際問題研究所研究員、経済部デスクを経て2014年より現職。著書に『世界を切り拓くビジネス・ローヤー』『御社の寿命』、(いずれも中央公論新社)など

 カズオ・イシグロの2005年の作品である。新刊書ではない。だが、年明けに同名の民放のドラマが始まり、書店の中ではこの文庫を平積みで売っているところも多い。以前からこの作品はずっと気になっていたが、なかなか読む機会に恵まれなかった。これを機会に読んでみようと思い手にとった。

 カズオ・イシグロの作品に注目した理由はもう一つある。昨年の夏、NHKで放送していた「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」という番組を偶然見て、強く印象に残っていたからである。学生などを相手に、「なぜ小説を読みたいと思うのか」「なぜ我々は小説を書きたいと思うのか」などについて熱心に語っていたイシグロの言葉に思わず聞き入ってしまった。

 筆者(中村)のような仕事をしていると、毎日、現実に起きている日々のニュースや事象に追いついてゆくことで精いっぱいで、なかなか小説や文学作品を読む時間的、心理的な余裕がない、というのが正直なところである。実際、仕事に関係しそうな本は読んでも、小説などはこれまでほとんど読んで来なかった。

正直なところ、読むと辛い本

 その一方で、ニュースをフォローするのは確かにエキサイティングではあるが、現実を追い求めているだけでは、心の中に何か物足りない部分があったのも確かである。小説はそうした心の隙間を埋めてくれる効果があるのではないかとも思い始めていた。

 これは、偶然にもカズオ・イシグロが「文学白熱教室」の中で語っていて合点したことでもある。イシグロは、ルポルタージュやエッセーと比べて何が小説を特別なものにしているのかという点について、「小説の価値は表面にあるとは限らない」「想像したアイデアの奥深いとこにあるのだ」という(NHK、文学白熱教室より)。さらに「わたしたちはどこかで異なる世界を必要とし、そこへ行きたい強い欲求がある。このような世界はノンフィクションやルポルタージュでは生み出すことができない」ともいう。まさにこの言葉に共感してカズオ・イシグロの世界に興味を持った。

 「わたしを離さないで」の物語は、ある特殊な任務を帯びた子供たちが成長し、その任務を果たす運命を受け入れつつ、生きることの大切さを確認しながらそれぞれの人生を追い求めるストーリーである。正直なところ、読むと辛い本であり、ハッピーエンドとは対極の内容である、人間が生きることとは何か、生きることに向き合う真摯な姿勢とはどうあるべきなのか、について深く考えさせられる本である。

 翻訳であっても、イシグロの独特の世界観や筆致に慣れるまで読みこなすにはなかなか時間がかかる。むしろ普通の小説よりも難しいのかもしれない。ただ、既にDVDになって市販されている同名の映画をみると、イメージがうまくトレースされている。英国の美しいが陰鬱な冬の風景と重なって、この小説の雰囲気が良く出ていると思う。民放のドラマは、日本を舞台としてリメイクされているが、原作の雰囲気とはやはり似て非なるものという印象も受ける。

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