取材してみると、家が貧しかったので大学進学を諦め、衣食住に困らない自衛隊に入隊したとか、逆に、自衛隊に行けば奨学金を借りなくても仕事をしながら大学に通えると知って志願したというような話をたくさん聞きました。さらに調べてみると、就職先の少ない東北地方の農家の二男三男が食べていくために自衛隊に志願するなど、「経済的徴兵制」のような構造は自衛隊が発足した当初からあったことがわかりました。これから起こる将来の話ではなく、昔からすでに存在していたのです。
現在も7割しかない自衛隊充足率
ーー発足当初からそのような中で自衛隊は人員を確保していたわけですが、自衛隊の人員確保の考え方はどのようなものでしょうか?
布施 アジア太平洋戦争の敗戦で、日本はポツダム宣言に基づき連合国に武装解除されました。しかし、アメリカは戦後まもなく、ソ連との冷戦に日本の戦力を活用しようと日本に再軍備を求めるようになります。最初は国内の治安を維持するという建前で警察予備隊がつくられ、保安隊を経て、国防を目的とする自衛隊が1954年に発足します。
自衛隊をつくる時、アメリカは当初、32万5000人の陸上兵力を要求しました。しかし、当時の吉田内閣は経済成長を優先する政策を取っていたため、交渉の末、最終的には18万人に落ち着きました。
当時の考え方として、あくまで専守防衛の自衛隊の戦場となるのは日本国内になるので、輸送や補給などの後方支援は民間の会社にアウトソーシングすることを想定していました。もう一つは、部隊を指揮する将校と兵隊を率いる下士官さえしっかり集め、平時から訓練しておけば、末端の兵隊はいざ有事になってから緊急募集で集めても戦えるという考え方です。兵隊は上官の命令に従って駒のように動けばいいので、訓練はそれほど必要ないという理屈です。こういう考えに基づき、陸上兵力を18万人まで絞り込んだのです。
ーーその常に訓練する必要がないという兵隊はどうやって集めるつもりだったんですか?
布施 有事になれば、祖国を守るために戦おうという愛国心にあふれた若者が多数志願するはずだという考え方です。実は、末端の兵士の不足分は緊急募集で集めればいいという考え方は、いまだに変わっていません。
ーーということは現在も兵隊に関してはそういう考え方なんでしょうか?
布施 現在でも、陸上自衛隊の「士」階級の充足率は7割ちょっとです。自衛隊では、日本の防衛に必要な最低限の人数を定員として定めていますが、定員分の予算は100%は計上されておらず、実際には、実員と言われる定員より少ない人数の予算のみです。充足率というのは、この定員のうち実際の隊員のパーセンテージを表し、現在は幹部と下士官では9割以上ですが、兵隊は7割ほどです。足りない分は、有事の緊急募集で埋めようという方針です。