【特別取材】料理家 魯山人の器づくり

何必館・京都現代美術館 梶川館長


辻 一子(つじ・いちこ)
岡山県生まれ。フリーライター。旅行会社のPR誌の編集者を経て、1998年からフリーランスに。旅の雑誌を中心に活躍。

今月の旅指南

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没後50年を記念した「北大路魯山人展」が、何必館・京都現代美術館で開催中だ。「魯山人の器は使うことで輝きを放つ」と語るのは同館館長・梶川芳友氏。魯山人に魅せられ、その生涯を45年間追い求めてきた梶川氏に、魯山人の器の魅力についてうかがった。

「於里遍四方向付」1954年 「備前トクリ」 1953年「染付鯰魚皿」1923年 「志野さけのみ」1953年すべて何必館・京都現代美術館蔵

――魯山人のやきものは、彼の食道楽から生まれたといわれていますね?

梶川館長:料理はそれにふさわしい器に盛ってこそ、本当に賞味することができるというのが魯山人の持論でした。けれど、彼は既製の器に満足できなかった。料理を盛る器について、魯山人はこんなことを書いています。「古いものでは上等すぎる。新しいものでは可哀想すぎる」。何百年という時代を経た名品の器は、自分の料理を盛るには上等すぎるが、現代作家のものではしっくりこない。自分の料理を盛る器がないというんです。それが、魯山人がみずから作陶を始めたきっかけです。

――魯山人は大正14年に、政界、財界、文化界の人々1000人余りを会員とする高級料亭「星岡茶寮」を開きますが、彼が作陶を始めたのはその頃でしょうか?

梶川館長:もう少し前です。「星岡茶寮」を開く前、魯山人は東京・京橋で「大雅堂美術店」という美術骨董を商う店を経営しており、そこで限られた人たちに手料理を振る舞っていたんです。彼は料理の達人でしたからね。その味が次第に評判になり、大正10年には「大雅堂美術店」の2階に会員制の料理店「美食倶楽部」を開くまでになります。「美食倶楽部」では、最初、「大雅堂美術店」が扱う骨董の器を使っていたのですが、やがて自分でつくった器を用いるようになります。

「備前火ダスキ平鉢」1953年何必館・京都現代美術館蔵

――魯山人の器のなかには、華やかな絵付けが施されているものもありますね。そういう器でも料理が映えるのでしょうか?

梶川館長:魯山人の器は一貫して、そのものだけを見ると何か少し物足りないような印象を受けます。それはなぜかというと、器というのは必ず何かが盛られるわけで、魯山人は、その分を残して制作したんです。主役である料理の分だけ控えてつくる。料理が加わることによって1つの器が完結するというか、使ったとき、一番輝いて見えるようにつくられたのが魯山人の器なんです。

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