2024年12月22日(日)

Wedge REPORT

2016年3月30日

  2016年3月29日、公益事業学会政策研究会と国際環境経済研究所の共催で澤昭裕氏追悼シンポジウムが開催されました。それに合わせて、弊誌Wedge3月号に掲載した澤氏の遺稿をWeb公開いたします。
  澤氏は、本稿完成2日後の2016年1月16日、58歳で逝去されました。がんの痛みに耐えながらもこの原稿だけは仕上げたいというのが氏の思いでした(「澤昭裕・最期の1週間」はこちら)。本稿編集にあたっては竹内純子・国際環境経済研究所主席研究員の協力を得ました。衷心より御冥福をお祈り申し上げます(編集部)。

「原子力を殺すのは、原子力ムラ自身である」。これは筆者の偽らざる思いだ。

 再稼働に向けた動きに伴って、原子力の優越性、脱原発論の不適切さを主張する関係者の声は高まりつつある。「事故を機に生まれ変わろう」との機運は、この界隈にほとんど感じとれない。いい加減、自らの足下を厳しく見つめ直すべきである。

 あなた方が拠って立つ「日本の原子力事業」という大木は、実は虫食いでボロボロになっている。あなた方自身がそれを助長してきてしまったのだ。本当に大切なら、むしろ病巣を全て掻き出し、若い世代が新たな内実を育てていく余地を残すべきではないか。

 この木にはもう、向かい風しか吹かない。この木を「安定供給の屋台骨」と考えるのは、もはやあなた方だけだ。本当に大切なら、むしろ、役割が相当限定されていく現実を潔く受け入れた上で、うまく国民に貢献し続ける将来像を考えるべきではないか。

精力的な講演活動(シンポジウム「原子力損害賠償制度の在り方と今後の原子力事業の課題」) 提供・21世紀政策研究所

結果責任を負うのは国民

 筆者は、「将来のリスクに備えた安全装置」として、今後も原子力というオプションは我が国として保持し続けるべきだと考えている。しかし、全関係者の思考パターン、政策手段、人材等々をすべて更新するくらいの反省と見直しが、その大前提だ。

 原子力には第一級の技術人材が集まってきたはずだ。しかし、「国策民営」の庇護の下、「敷かれたレール」を無批判に進んできた面はなかったか。我が国は、既存技術を進化させる点では優秀かもしれないが、サイクル事業に象徴的なように、過去に引いた基本線から離れられない。まったく新たな地平を切り開くような革新的成果は生み出せていないのだ。

 この「国策民営」とは、いわば、政治家・政府・電力会社といった関係者が相互依存的に作り上げてきた「責任のもたれ合い構造」である。これは既に行き詰まりつつあるが、解決に向けた関係者の「当事者意識」は希薄だ。「過去、そして将来の『意思決定の最終責任』は、自分が負うものではない」と、誰しもが思っているのだ。

 このままでは、リスクの取り手が不在のまま、「戦略なき惰性的な脱原子力」が加速的に進む。そして、原子力というオプションは失われ、将来の安定供給のリスクに対する備えは脆弱となる。万が一の場合に、その「結果責任」を負うのは、国民だ。

「骨粗鬆症」の原子力 電力の覚悟は再稼働まで

 総括原価・地域独占制の下では、電力会社は「原子力投資の判断は、安定供給に責任を負う公益事業者として、国が示した政策方針に従った結果だ」と言いやすかった。政府の側も、「個別の投資は電力会社の自主的判断だが、国益に沿うためサポートした」と言うことができた。

 言わば「説明責任のたらい回し」だが、政治主導の全体方針(原子力長期計画等)が上位に据わり、また料金規制や「安全神話」が原子力の経営上のリスクを小さくすることで、「国策民営」構造は頑健に見えていた。しかし、事故前から「空洞化」は進んでいた。今や完全に「骨粗鬆症」だ。

 第一に、政治的サポートの縮小である。各サイトの初号機建設当時とは異なり、電力会社は十分な投資体力や用地交渉力を蓄え、炉増設への政治的支援のニーズは低下した。同時に、オイルショックの記憶の風化等が相まって、原子力に対する世論や政治のサポートは失われていった。原子力委員長も、2001年には科学技術庁長官(閣僚)から民間人へと変更されている。

 福島事故後、原子力に反対する世論は長期化・定着化し、さらに政治的サポートは期待しにくくなった。さらに、原子力委員会の縮小や原子力長期計画の廃止で、基礎研究からバックエンドまで俯瞰する全体司令塔もなくなった。原子力の全体像・将来像は非常に見通しづらくなっている。

 第二に、電力制度改革の進展である。震災前までは、地域独占・総括原価制、垂直一貫制・一般担保など、原子力の投資資金を確保し、その回収を確実にする仕組みが残っていた。しかし今や、これらはすべて撤廃されようとしている。今後、電力各社は、原子力の維持や投資判断の適否を厳しく問われよう。その際、もはや「政策意図の尊重」や「国の制度的下支え」は、判断正当化の理由になってくれない。

 そして第三は、原子力保有に伴う経営上のリスクが電力各社の経営危機という形で強烈に示されたことだ。原子力の位置づけは「油価変動リスクから独立した優良電源」から「予期せぬ長期停止リスクをはらんだ問題電源」へと変化した。さらに、新たな安全規制が、事故確率等を勘案した合理的なものとはなっていない点も、不稼働リスクを増大させている。

 読者は意外に思うだろうが、福島事故によって「原子力アレルギー」を最も強くしたのは、実はリスク評価や負担の経験に乏しい電力会社の経営層かもしれない。


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