オトナの教養 週末の一冊

2016年6月24日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 訪日観光客が爆発的に増えるにつれ、日本の食文化に対する称賛のみならず、非難や戸惑いもしばしば耳に入るようになった。

 私自身、肉はダメというインドネシアの友人に寿司をごちそうしようとしたら、「生(なま)なんてとんでもない!」と拒絶された苦い経験がある。イスラム教徒の友人にとって豚肉は考えるだけでおぞましいものであり、アメリカの友人には「知能の高いクジラを食べるなんて日本人はどうかしている」と憤慨された。

 日本の食慣習を身につけている私にとっては、相手をもてなすつもりが、理不尽な、いわれのない抗議を受けたわけで、ある社会では食べものとされず、忌み嫌われているものが、世界のどこかの社会では食べられ、ときには美味とすらされるのはなぜだろう?と考え込んでしまった。

 その食と文化の謎に切り込んだのが、本書である。

牛、豚、馬、犬、
ミルク、昆虫、ペット、人肉食まで……

『食と文化の謎』(マーヴィン ハリス 著、板橋 作美 翻訳、岩波書店)

 「インドのヒンドゥー教徒が牛肉を食べず、ユダヤ教徒とイスラム教徒が豚肉を忌み嫌い、アメリカ人が犬のシチューなど考えただけで吐き気を催す」のは、なぜなのか?

 何を食べるによいものとするかを決めるポイントは、単なる消化生理学を越えたほかのなにか、――すなわち、民族の料理伝統、食文化である、と著者はいう。

 日本人が日本の食慣習を身に染み込ませているのと同様、アメリカ生まれ、アメリカ育ちの者なら、ある種のアメリカ的食慣習を身につけているものであり、「食慣習は、自分のとちがっているというだけの理由で、バカにしたり、非難すべきものではない」。われわれが議論すべきこと、考察すべきことは、「人類の食生活は、なぜ、かくも多様なのか」である、と著者は宣言する。

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