赤坂英一の野球丸

2016年7月27日

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赤坂英一 (あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。最新刊『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

 広島・黒田博樹の日米通算200勝には、単なる勝ち星の積み重ねを超えた意味がある。黒田がいまでもメジャーリーグに残ったままこの数字を達成しても、ファンやマスコミに大いに賞賛されたに違いない。しかし、これほどファンを感動させ、これからも長く記憶に残るような快挙にはならなかったはずだ。

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勝ててホッとした

 その大記録は23日、本拠地マツダスタジアムでの阪神戦で達成された。7回、115球を投げて5安打無失点は、今季最高と言ってもいい内容である。ここまで199勝のまま足踏みすること3試合。しかも前回登板、13日の巨人戦では今季ワーストタイの6失点でノックアウトされている。それだけにお立ち台での第一声、「とにかく勝ててホッとしました」は紛れもない本音だったろう。

 日本とメジャーでの通算200勝は05年の野茂英雄以来、史上2人目である。ただし、在籍していた近鉄や日本球界と〝絶縁〟する形で渡米、アメリカで200勝を達成した野茂に対し、黒田はアメリカでそれなりの成功を収めながら、日本の古巣・カープに復帰して大台にまで上り詰めた。これは、単純に順番が逆になっただけ、という違いではない。

 黒田はメジャー(ドジャース、ヤンキース)で投げた7年間のうち10年から14年まで、5年連続で2桁勝利をマークしている。これは野茂をも上回る日本人大リーガー最高記録だ。しかも、11~13年には3年連続で200投球回をクリアしていた。だからこそFAとなった14年シーズンオフには、パドレスから1800万ドル(約20億円)以上とも言われる破格の条件を提示されたのである。

 ところが、黒田はそれほどのオファーを断り、年俸が5分の1の4億円でしかないカープへの復帰を選択した。その理由を、ファンも、私のような野球の報道に携わる人間も、この200勝を機に改めて胸に刻む必要がある。

 黒田にインタビューする機会に恵まれた2015年のシーズン中、私は率直に尋ねた。なぜ、お金よりカープだったのですか、と。本人の答えは至ってシンプルなものだった。

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