山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2016年10月27日

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 日本人は、賢そうな理屈は言うのだが、泥臭く実質をつかんでいくという点で弱い。戦後70年が経ち、日本はスマートな経済大国になったように思っているからそれができない。

 国連常任理事国入りも「日本が入って当然」と考えて鷹揚に構えているうちは、決してそうはことが運ばないのである。「名を捨てて実を取る」ことをベトナムなどの国から学んでも決して損はないはずだ。

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正論を振りかざしても勝てない

 ベトナムでは、実は「個人」があまり前面に立つことがない。時間をかけて二枚腰、三枚腰で交渉するのが基本であるから個を出すふりをしてその気にさせて、こちらを引き込み、そろそろ妥協すると思わせてから「いや、私には権限がない」と、さらに奥に引き込む。

 いわば後出しジャンケンなのだが、最初の人間よりも上のクラスの人間が出てくれば、日本人は「ものごとが早く進められる」と思いがちだが、そうはなっていない。妥協案を引き出しても「実は、親会社があって、私には権限がない」と言い出す。そして、親会社と交渉しても、また同じように「実は……」となるので日本人には手に負えないのである。

 それでも、ここまで進んでしまっているので引き返すのも大変だし、これまでの労力が水の泡であると考え、日本人は仕方なく我慢して前に進む。すると、「待ってました」かのように国の役人が出てきて、あれこれ難題を出してくるのがベトナムの交渉ストーリーだ。

 取るものは取られていいように遊ばれる。こんな情けない話が死屍累々のようにベトナムには散らばっているのだが初めてベトナムで仕事をする日本人は知らないのである。

 このような話をすると、それは卑怯ではないか、もっと正々堂々としなければならないというように感じる日本人は少なくない。しかし、外交や交渉事は、取るか取られるかの戦いである。戦いにおいて正論ばかり振りかざしていて勝てるのだろうか。

 否である。下剋上の戦国時代、勝つためには日本人も謀略をめぐらせてきた。生き残りをかけているのだから当たり前である。

 武士道精神は天下泰平の江戸時代になってからのものだ。平時には争いは不要である。そのために卑怯な戦略は悪とされたわけだが、世界を相手にした争い=外交や交渉事においては、まず勝たなければ意味がない。

 日本国内のみでの話なら性善説に立っても問題ないかもしれないが、外に出たときは二枚腰、三枚腰の戦略を持った方がいい。世界において正々堂々はむしろ非常識なのである。 

 ベトナムと中国の駆け引きは、ひと言で言えば「面従腹背」と「裏切り合戦」である。ベトナム人からすれば中国はお金を持っていて、商売をやりたがっているのはよくわかっている。

 もちろん中国に対しては積年の恨みがある。だが、そのことは、ことビジネスに関してはおくびにも出さない。そうすることで相手は油断する。まるで二重人格に人間がつくられているかのようにベトナム人は振る舞うことができるのである。

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