10月の弾丸出張先はシンガポールでしたが今回はアジア圏で最も経済的に成功した国家、シンガポールについて書いてみたい。
昔のシンガポールは住みやすい国だった
今回のシンガポールの出張には家内が一緒だった。実は33年前にシンガポールの義兄の家に家内が僕の母を連れて行ってくれたことがあった。そんな訳で母の10回忌の記念に一緒に行こうということになった。
1983年のシンガポールは住みやすく、JETOROに勤めていた義兄に連れられて毎日、有名ホテルのランチやディナーを楽しんだことを家内が話してくれた。ラッフルズホテルでは初めてシンガポールスリングやピーニャコラーダというカクテルを頂いたと楽しげに母が帰国後に話したり、ヘミングウェイやサマセットモームがラッフルズホテルを定宿にしていたと得意に話していたのが懐かしい想い出だ。
Good wood park hotel では真っ暗な森の中の一軒家のステーキハウスに行ったり、セントーサ島で食べたスティームシュリンプやシャングリラホテルの飲茶(ヤムチャ)やマキシムドパリのかたつむり料理など見るもの聞くもの初めての経験だったと母がハイテンションになって話してくれたのが昨日のことのように思い出される。
また、オーチャード通りのラッキープラザで換金をして伊勢丹では何を買っても物価は日本の半分だったと楽しげに土産話をしてくれた。母にとっては初めての海外旅行でシンガポールがたぶん御伽の国に見えたのだと思う。
当時の日本は前のめりの時代で、何もかもが幸せだったのだろう。母の目から見たシンガポールは小さな島国だったけれども、日本企業の進出ラッシュで活気があって幸せな国に見えたようだった。
今のシンガポールは様変わり
ところが、今回の訪問では家内のシンガポールに対する評価は全く逆転していた。タクシーに乗ってもデパートで買い物をしても誰もがつっけんどんで皆がイライラしているように見えたと言う。前日にクアラルンプールからシンガポールに入国したので、余計にそのように見えたのかもしれないが、物価は高くサービスが悪く見えたのは僕も同じだった。