足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年11月20日

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足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 我が家の隣接地に、2軒の住宅が建設中である。どちらも11月中に完成らしい。

 金槌の音が響くそれぞれの敷地の一角に「立入禁止」の標識が掲げられてある。

 工事の途中なので、当然と言えば当然だ。だが、頭では理解していても、感情面で「立入禁止」の4文字に根強い違和感が残る。

 というのも、昨年の今頃まで、2軒の住宅地は一つの敷地になっていて、元はそこに平屋の家が1軒あり、住んでいたのは私と私の家族だったからだ。

 つまり、こういうことである。

 私たちは借家に住んでいたのだ(私の実家に隣接する家の家族が引っ越したため、私たちが借り受け、長年住んでいた)。

 ところが、一昨年に大家が亡くなり、後継ぎの人の意向は「土地を売りたい」というものだった。たまたま当方でも、6年前に父が逝去し、昨年になって母も老人施設に入所することになったので、実家は無人になってしまう。そこで私たちは、昨年夏から隣接する実家に移ることに決めたのだ。

iStock

 私たちは借家に36年も住んでいたから、実家(隣家)との境のフェンスは取り払ってあり、いつも気軽に2つの家を行き来していた。それでも、2軒の家で断捨離を実行し、1軒の方をまったく空にして荷物をもう1軒に移し替える作業を、仕事の合間に行うのは大変だった。終了まで4カ月少々かかった。

 昨年10月に転居してから約2週間後、旧家屋は取り壊されて更地になった。

 最初に娘の使っていたプレハブの小屋が解体され、次に母屋に重機の巨大な爪が食い込み、その後息子のプレハブ小屋が消え、最後に風呂場のコンクリート台が破壊された。

 私は1日に何度も家の外に出て、元の家が消滅して行く過程を見守った。

 どの空間にも思い出があった。息子の小屋があった場所は、その前は庭の一部で砂場だった。中学生になってプレハブを建てて部屋を持たせた。友人や従兄弟たちがよく遊びにきていた。高校生の時は1年留学したので、空屋だった。大学生になって彼女を連れてきたのもその部屋だ。就職し、結婚して、孫たちができてからは、もっぱら息子一家の帰省中の宿泊所になっていた……。

 それが今年の夏には、一面夏草の繁茂するただの空き地である。30数年という時間の集積が、まるで急激な駒落としのように逆回転で巻き返され、何もない空間へ戻ったのだ。

 人の歴史は、過ごしてきた家の記憶と密接に結びついているはずだ。なのに、不意にリセットされ、元のゼロへと戻る。家庭の事情による止むを得ない変化と納得しながらも、保守的なわだかまりが容易に拭いきれない。

 実は私は、自分が暮らしてきた家の消滅を目にするのは、初めてではなかった。

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