2024年4月19日(金)

ペコペコ・サラリーマン哲学

2010年5月19日

 政治家が選挙に勝ち抜くためには、自分を応援してくれる人たちに感謝し「ありがとう」の気持ちを持つことが大切でしょう。

 しかし、ひとたび当選議員になれば、またさらに首相や大臣になれば、国民の僕(しもべ)であるべきことを往々にして忘れ、むしろ格好良く「我々は国民の負託(責任を持って任せること)にこたえる」と言いまくりつつ、予算の配分権限にしがみつきます。

 会社・お店・個人企業・個人は努力に努力を重ねてやっと利益をあげ、憲法の納税義務に基づいて税金を国や都道府県市町村に納付します。議員の人たちは、この税金が国などにとって、会社などでいうところの売上に相当することはまったく忘れています。だから納税者に感謝する「ありがとう」という言葉は聞かれません。

 これだけ政治が混迷をつづけている現状では、政治の基本中の基本である、「政治家が国家を動かすのではなく、国民が政治を動かす」ことを忘れてはならないと考えます。立派な政治家(議員)に国民は負託するのです。だから、あくまでも政治家のオーナーは国民であって、政治家はもともと国民にペコペコするべきで、感謝して「皆さんのために働かせてもらって給料をいただきありがとうございます」と言うべきです。

 使うお金の予算の配分に群がって権限を行使するだけでは寂しすぎます。やはり、何かをほめて、何かに感謝することが先で、その後で自分に与えられた仕事をすることが、どんな世代の人にも、どんな職業の人にも求められます。私は政治家という職業も例外ではないと思っています。

 政治家同士や政党同士でほめ合い、感謝し合い、「ありがとう」のエール交換をしても、一般市民や有権者にとっては何の興味も面白みもありません。このあたりのことを政治家たちはわかっているのでしょうか。

 しかし、一転して、平素の生活のなかでの、個人同士の付き合いでは、「ほめる」「感謝する」「ありがとうと言う」の3点セットは、人を幸せにし、世のなかを明るくします。これは私の拙い体験知識(エンピリカル・ナレッジ=empirical knowledge)から間違いなく言えます。 

 先日ある雑誌の女性の編集者の方から、次のような嬉しいお便りをいただきました。

 「“金児昭のペコペコ哲学”を読ませていただきました! ペコペコすることとは、自分をすごく大切にすることなのですね。戦争体験や亀井さんの思い出など、金児さんの堂々とゆらぎなく、そして、えらぶったところのまるでない文体にひきこまれ、その豊かさに心から感動いたしました。ウンウンとうなづきながら読みすすんで、いつの間にか心が軽くなってしまう金児さんの文章の力にゆさぶられました。たくさんのサラリーマンがここでホッと一息ついていることと思います! これからも楽しく拝読させていただきます」

 一気に書いたと感じられる、おほめのお言葉に接し、私はとても嬉しくて舞い上がりました。やはり、人間は自分が一番かわいいのだと実感した次第です。

 ここで、もう一つ、若い人から年寄りへの手紙を紹介させてください。

 10年少し前、私は62歳で、自らの意思で会社を辞め、人生第二幕の教員生活に入り、その後70歳からは講演と執筆の人生第三幕に入って、今に至っています。実は第二幕に入った翌年の春に、思いも寄らない大病に見舞われました。


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