土のうた 「ひととき」より

2017年4月24日

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恩田侑布子 ( おんだ・ゆうこ)

俳人

1956年生まれ、俳人。樸(あらき)代表。句集に『イワンの馬鹿の恋』(ふらんす堂)、『振り返る馬』(思潮社)、『空塵秘抄』(角川学芸出版)。2013年、俳句評論集『余白の祭』(深夜叢書社)で第23回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。2014年、コレージュ・ド・フランスなどフランス各地で講演を行う。

隠﨑隆一(かくれざき りゅういち) 1950年、長崎県生まれ。大学卒業後、デザイン会社勤務を経て、76年、備前市で伊勢﨑淳に師事。85年、瀬戸内市長船町に窯を築く。88年、92年の田部美術館大賞「茶の湯の造形展」大賞、96年の日本陶磁協会賞ほか受賞多数。

離れ島の自然児

 備前は六古窯(ろっこよう)のなかで、質・量ともに東の美濃と双璧をなす。古きを温(たず)ねた中興の祖が金重陶陽(かねしげとうよう)なら、新たな美の地平を創造した風雲児が隠﨑(かくれざき)隆一である。

 5つの頃。木に登って山桃の実を食べていた。枝ごと釘の上に落ちた。長靴から足裏に5寸釘が突き刺さる。血がピューピュー噴き出す。金づちを持って婆ちゃんが飛んで来た。釘を引き抜き、いきなり血の穴をドンドン叩(たた)いた。塗るのは蓬(よもぎ)をもんですりつぶしたもの。それからは小学校の行き帰り、骨が出る怪我をしても一人で蓬を摺り込んだ。

 隠﨑は五島列島の椛島(かばしま)に生まれた。集落の小学校まで小一時間もかかった。家の前の岩場には海が迫り、背後は鬱蒼(うっそう)たる森である。遠洋漁業の船団に乗ってたまに帰ってくる父は、どこかのおじさんに思えた。母は農業に忙しく、いつも一人遊びをしていた。

 「歩くより先に泳いでいましたよ」

 「ふふっ、外海をですか」

 「岩から岩へ平気で。大人が舟をつなぐ穴を岩にあけたのを見て、ぼくもハンマーで毎日岩を叩いて穴を穿(うが)った。十(とお)のころかな。棕櫚(しゅろ)縄で岩穴と腹をつないで海にもぐる。鮑(あわび)は決まった岩のくぼみに並んでいてね。採った次の日に行くとまたそこにいるんだよ」

 鮑が観音さま、岩窪が厨子(ずし)のように目に浮かぶ。神々しく厳しい自然だけがあり、電気、水道、ガスがなかった。小学6年で福江島に移り住むまでお金(かね)は見たことさえない。神話の時代を生きた好漢が目の前で笑っている。

 「大きな岩の上に乗って、荒波と風のなか、あの海の向こうは、と思いをめぐらしていた。身体にいっぱい植えつけた時間だったね」

幅1メートルもの豪快な板皿。マーブル土の表情のゆらぎは見飽きない。箆(へら)目でざっくりと画した幾何学模様に透明釉の水色の窯変と火襷(ひだすき)の対比が斬新(左)、左の写真と同手法の6枚組皿の1枚。 巌のような断面を撫でたくなる(右)

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