離れ島の自然児
備前は六古窯(ろっこよう)のなかで、質・量ともに東の美濃と双璧をなす。古きを温(たず)ねた中興の祖が金重陶陽(かねしげとうよう)なら、新たな美の地平を創造した風雲児が隠﨑(かくれざき)隆一である。
5つの頃。木に登って山桃の実を食べていた。枝ごと釘の上に落ちた。長靴から足裏に5寸釘が突き刺さる。血がピューピュー噴き出す。金づちを持って婆ちゃんが飛んで来た。釘を引き抜き、いきなり血の穴をドンドン叩(たた)いた。塗るのは蓬(よもぎ)をもんですりつぶしたもの。それからは小学校の行き帰り、骨が出る怪我をしても一人で蓬を摺り込んだ。
隠﨑は五島列島の椛島(かばしま)に生まれた。集落の小学校まで小一時間もかかった。家の前の岩場には海が迫り、背後は鬱蒼(うっそう)たる森である。遠洋漁業の船団に乗ってたまに帰ってくる父は、どこかのおじさんに思えた。母は農業に忙しく、いつも一人遊びをしていた。
「歩くより先に泳いでいましたよ」
「ふふっ、外海をですか」
「岩から岩へ平気で。大人が舟をつなぐ穴を岩にあけたのを見て、ぼくもハンマーで毎日岩を叩いて穴を穿(うが)った。十(とお)のころかな。棕櫚(しゅろ)縄で岩穴と腹をつないで海にもぐる。鮑(あわび)は決まった岩のくぼみに並んでいてね。採った次の日に行くとまたそこにいるんだよ」
鮑が観音さま、岩窪が厨子(ずし)のように目に浮かぶ。神々しく厳しい自然だけがあり、電気、水道、ガスがなかった。小学6年で福江島に移り住むまでお金(かね)は見たことさえない。神話の時代を生きた好漢が目の前で笑っている。
「大きな岩の上に乗って、荒波と風のなか、あの海の向こうは、と思いをめぐらしていた。身体にいっぱい植えつけた時間だったね」