土のことば
作品はどれも隠﨑がそこに居るかのような迫力をもつ。オブジェから茶陶まで、幅広い造形意欲と技法に鴻大(こうだい)な精神性がこもる。作者はそれを土の言語という。8種類の土を混ぜたマーブルシリーズは、備前の高級土を採るため棄てられたクズ土の混淆(こんこう)である。ひとはある年齢になれば親や知人を送り、土から生まれ土に帰ってゆく実感がともなう。
「こいつのもつ言語は世界中いつでもどこにでもあるでしょ」
土間を指さす。三和土(たたき)の上に備前の赤っぽい泥漿(でいしょう)を流し、自然に乾かしたフラクタル模様は抽象芸術さながら。わたしたちはふしぎな土の雲海に浮かんでいるのだった。
土の言語はタイトルにも詩のように表れる。「北想(ほくそう)」はバブルがはじけ時代が淀んでいるとき、鳥に見立てた作品。失恋して人はうつむく。南は癒されてフラットになるだけ。あえて北へ行き想念を膨らまし、奥を見て帰って来たい。「芯韻(しんいん)」はアイルランドの石の文化に幼年期を重ねた。厳しい自然にあらがって石を積み上げる文化には情が育つ。貧しさのなかで水や花や食物を神々に捧げる祈りがこもる。
最新作の水指(みずさし)にひときわ惹かれた。胸から下にマーブル土をうっすら纏(まと)い、無垢の白を口縁部にもつ。貴婦人のようなしじまと繊細さ。畳付きからぽっと燃え立つ火襷(ひだすき)は、しののめの胎動のよう。肩を舟形にゆがませた反りは玲瓏(れいろう)たる弓なりを描く。胆力に発する、強靭なフォルムと気品との均衡。
「これからさらに何を目指されますか」
「ゴールに近づく前に別のものが見えてくる。脱皮しない蛇は死ぬ。作陶にゴールはないです」
一瞬、眼に太刀の鋒(きっさき)のようなひかりがよぎった。そう、ここ長船(おさふね)は名刀の産地でもあった。
40代のこと。モンゴルのゴビ砂漠の入り口で馬に乗っていて、落ちた。骨が砕けんばかりの痛打。砂利まじりの砂漠がサンドブラスターのように全身に高圧の砂を吹き付けてくる。生きながら風葬されるようだった。「これまでか」と思ったが、後悔はなかった。明日は指が飛ぶかもしれないと思って一日一日を生きてきたから。
そのとき砂嵐の底でたしかに見たものがある。360度の地平線だ。生と死のせめぎあう漏斗(ろうと)状の底で全身をゆさぶってくる得体もしれない何か。土と一つになる身体の感応力が世界に備前を発信する。
写真・石塚定人
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