2024年12月23日(月)

土のうた 「ひととき」より

2016年5月22日

無名異焼(むみょういやき)の人間国宝、伊藤赤水(いとうせきすい)さん。佐渡特有の赤土と炎との出会いから生まれる大地から湧き上がるような美とは─。

「無名異」との出会い

石粒だらけの土をそのまま成形して大地の野生を存分に引き出した「佐渡ヶ島 窯変大壺」。石爆(は)ぜと石消失という炎のプリミティブな刻印は、佐渡ヶ島そのものと拮抗する鮮烈な存在感
佐渡の岩石を素材にした「佐渡ケ島」シリーズの作品「佐渡ケ島香炉」。上部の箆(へら)目状の凹みは融点の低い岩石が溶けて消失した結果。消失を意識的に造形に取り入れた前衛作品が、この上ない静謐感を漂わせる 

 三山が日本にはある。大和三山、熊野三山、出羽三山のように。伊藤赤水は、陶芸において三山を造った男である。三峰の名は「無名異窯変壺(むみょういようへんこ)」「無名異練上花紋(むみょういねりあげかもん)」「佐渡ケ島」である。無名異とは、鉄分の多い赤土のこと。佐渡金山の鉱脈近くから掘り出され、陶土として使われてきた。

 その窯変壺との出会いは昭和55年(1980)、日本伝統工芸展の会場であった。赤水さんはまず円い大きな壺として目の前に現れた。ろくろ目のない澄んだ表面は、夕日が海原をもやす色に力いっぱい膨らんでいた。日本海の咆哮(ほうこう)のようでもあり、大地から湧き上がったようでもあった。佐渡の伊藤赤水が、胸に落ちた。

 編集部から今回、好きな陶芸家に会いにゆきましょうと提案された。目を瞑(つむ)ると、あの壺があった。言葉に絶望して茶陶作家を志していた小娘の胸に、赤と黒の壺は、いわば土の底力を叩きこんだのである。

 日本海は10年ぶりだ。思い出のそれは紺青(こんじょう)に沈み、厳しく落ち着いている。ところが、何これ。今日(取材は10月)の新潟港ときたら。空も海も秋うらら。長い桟橋には釣り人が眠たげに糸を垂れ、鴎と海鵜が白と黒の飛石もようで羽をやすめている。高速船は滑るように蒼海(そうかい)を航(ゆ)く。1時間の船旅は、窓から目が離せない。海が蒼から藍青(らんじょう)に変わるころ、洋上に駘蕩(たいとう)たる山並みが現われた。

 世阿弥(ぜあみ)が着いた多田(おおた)は見えないかしら。左に頭を向ける。姫埼(ひめさき)灯台も白い頭がぽつんと木立にあるだけ。前浜海岸は山の緑ばかりが見渡された。将軍足利義満の寵愛を受け、日本美の最高峰、能を大成した世阿弥は、72歳で佐渡へ流され、『金島書(きんとうしょ)』を遺した。

 じつはこのたびの赤水さん訪問は、花をめぐる謎を解く旅でもある。世阿弥は生涯花にこころを砕き、幽玄という花を咲かせた。赤水さんも、翻然と50代から練上花紋を手がけ始めた。その花は、いままで誰にもつくられなかった花。


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