まだ見ぬ美の沖へ
1941年、新潟県佐渡市生まれ。無名異焼窯元伊藤家5代目。佐渡の土「無名異」の赤い色を生かした独自の作風で知られる。重要無形文化財保持者。
相川(あいかわ)の中心地に着く。商店街のゲートは武家風の瓦葺きで「相川天領通り」とある。すぐ隣が赤水さん宅である。
直球しか持ちダマがないので、初対面、のっけから一番聞きたいことをたずねてしまう。
「先生は39歳で日本伝統工芸展奨励賞を、ついで日本陶芸展グランプリを受賞され、61歳の若さで人間国宝になられました。なのにみじんも栄誉に安住されない。なぜ『練上花紋』や豪快な石爆ぜの『佐渡ケ島』へと、たゆみない自己脱皮を遂げられるのですか。どうしてそんなに湧き上がる情熱を持続できるのですか」
「気恥ずかしくて、あんまりしゃべれなくなっちゃった。そんなたいしたもんじゃないですよ。……ひとことでいうとすると」
やさしく微笑んで、間を置かれた。
「まあ、たまたまよ」
「えっ! ……苦労の跡をとどめず、ですか」
「苦労なんて大それたことしてないから。50年近くやってる。いい年になっちゃったね」
工房に颯爽と案内される。70代とは思えぬ若さだ。大安寺(だいあんじ)の山裾を流れる小川を跨いで、作陶場と窯場がある。地下には、金山の坑道の水を抜く疏水坑が日本海へ通じているという。金山の遺構は血管のように町を走っている。
無名異の語源は中国の漢方薬にあり、江戸時代には止血剤として使われていたものを粘土に転用したという。五代伊藤赤水のルーツは、江戸初期、加賀からやってきた伊藤伊兵衛に遡る。金山で鞴(ふいご)の羽口(はぐち)を作っていたという。その赤土をろくろに据えられた。分厚い欅(けやき)の一枚板がゆるやかに回り出す。パンッ、パンッ。両手で叩く。土と手のぶつかりあう音に力がこもった。澄んだ大気がいっそう引き締まる。柏手の気配がした。土はもろ腕になめらかな生きもののように立ち上がる。ろくろは緩急自在の手足のようだ。粘土はキメ細かいが、なかなか強情そうだ。お前は何になりたいのだ。土と対話する。明治の振子時計が1つ鳴った。壺は大らかな天地を漂わせていた。
(写真中央)鉄分の濃い赤い土、鉄分を含まない白い土を乳鉢で摺り、微妙な色合いの土をつくる
(写真左)鉄製の刃物はカンナとよばれる削り道具。団子状のものは、肌のすべらかな無名異焼に欠かすことのできない研磨具。指のかかり具合と陶胎の曲面に合わせて手作りした赤水さん愛用の道具たち