2024年7月23日(火)

土のうた 「ひととき」より

2017年4月24日

備前の窯元や店が並ぶ古い町並みまでは伊部駅から歩いて5分。煙突の下を不老川が流れる(上)、高台の3,000坪の敷地に巨大な登り窯と穴窯、赤松の薪が山をなす(下)

人生をデザインする

 大阪芸術大学を出てデザイン会社に入る。野生児は近代を受け入れた。バリバリ仕事もこなした。が、組織の歯車にはなれないと気付く。会社を辞めフーテンの寅さんになった。大学の先輩に誘われ、遠洋漁業で鰹の一本釣りをしたこともある。たまには親に顔を見せようと、国道2号線をひたすら西進し、友人を思い出して備前に立ち寄った。暇なら窯出しを手伝え。帰りには窯焚きを手伝ってくれ。そうしてよそ者は居着いた。伊部(いんべ)の町の煙突がモクモク煙を吐いていた頃の話である。伊勢﨑淳(人間国宝)に師事することになる。

 すべては縁と運というが、じつはこの寅さん時代に人間としての飛躍を遂げた。大学と会社で齧(かじ)ったデザインを狭義でなく広義で捉えるようになった。賞味期限のある平面から、長期スパンに発想を転換すると、舞台、都市、経済、あらゆるものがデザインを欲していた。ならば自分の人生こそデザインしよう。飽和状態の備前でよそ者が頭角を現すには公募展に入賞し隠﨑ブランドをつくるしかない。30を前に肚(はら)が据わった。困難に遇(あ)えば「今日が必然である」と乗り切った。1日も無駄にしないたった一人の挑戦だった。

 それからはトントン拍子。田部美術館大賞「茶の湯の造形展」大賞、日本陶磁協会賞と受賞を重ねた。備前は無釉焼締陶である。変化に富んだ焼きを見どころとし、粘土をもっとも大切なものとしてきた。だから斬新な造形を持ち味とする隠﨑には、最初のうちは「キッタリハッタリの仕事は備前じゃない」と火の粉が降りかかった。いまとなってはそれを感謝している。火の粉の踏み台を重ねて、遠くへジャンプできたのだから。

白目の備前土を染める火襷の茶碗は濁りのない緋色で、お薄の色映りの美しさに息をのんだ(左)、銀彩釉をかぶせた酒器は都会的でおしゃれ(右)

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