原 まあ、母親の背徳は、物語の中で解決してないですからね。真は、そのことを知ったまま、一生生きていくわけです。
浜野 収まり良く、落ちを付けない。現実は現実として背負っていくしかない。
原 ああ、その方がいいと思ってましたからね、僕は。
昔自分が観て感動した映画は、きれいな答えなんか出てない映画だったような気がするんです。いつの間にか、白黒つけるとか、善悪ハッキリとか、そういう方向に作品のつくり方が流れてきたような気がするんですよね。
自分の観たので言うと、答えがはっきり出ないもののほうが好き、というのがあったし、悲劇のまま終わってしまうとか、救いのない映画だとか。
浜野 原さんの好きな木下監督とかね。
木下惠介監督作品が、好き
原 ええ。木下監督の作品が、僕は好きなんです。その中で言うと、『日本の悲劇』 (2)は、どうしようもなく救いのない結末だったりする。『野菊の如き君なりき』 (3)も、ほんとに悲しいだけの結末だし。
だから、みんながハッピーで終わるような映画って、結局どっか無理があるつくりをしてるんじゃないかなって思うんですよね。嘘くさいというかね。それを僕はあんまり真剣につくれないな。
「それだけじゃないでしょう」っていう思いはありますよね。
浜野 でも、原さんが手掛けてきたアニメーションの世界では、会社からそれを期待されるのでは? 観客へのサービスとして、きちっとしたハッピーエンドがあって…。
原 そうそうそう、そうなんです。だから、それが僕はずっと負担だったんですよ、自分で。
嘘くさいなと思ってた。「わかりやすい」ものを求められるんですよ。楽しいものを求められる。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(以下、『オトナ帝国』)は、あえてその逆を狙ったもんだから、そういう、中身に口を出したがる各社のえらい人たちは、みんな観たときに戸惑ってましたよね。「ンッ?」っていう感じで。僕は内心、そりゃそうだろうって思いました。
実を言うとそれまでは、「子供向け」映画らしさってものを求める周りの声は、ちゃんとどっかで取り入れつつ、自分のやりたいこととか言いたいことはほんの少し、控え目に忍び込ませるというやり方でやってきていたものを、『オトナ帝国』のとき、すっかり割り切ってしまったんですよ。
浜野 『オトナ帝国』は、確かにひとつのエポックをつくった。アニメーションとして。
(3)『野菊の如き君なりき』 :1955年公開。歌人・伊藤左千夫の小説を映画化し、木下が監督を務める。美しい信州の自然を背景に、身分の違いで結ばれることのなかった少年と年上の少女との清らかな悲恋を描く。