善悪二元論にならないところがいい
浜野 話を続けると、映画好きだったら、『カラフル』見て真っ先に思い出す作品があると思います。フランク・キャプラ監督作品の『素晴らしき哉、人生!』(1) です。
死のうとしたところに、天使が助けの手を差し伸べるっていう設定自体、よく似ている。でも、決定的に違う。
フランク・キャプラの場合、善と悪の、二元論的な対立。善だからこそ死ななくて、ハッピーエンドに至るっていう、要するに予定調和的なんです。
でも『カラフル』には、主人公の真(まこと)が大切に思う人が、不徳や背徳に手を染めているっていう二面性、多面性がある。そのことに真は傷つき、憤るんだけども、丸ごと受けとめる。
それはもう、決定的にフランク・キャプラ流の善悪二元論と違う。スタンリー・キューブリックが言ったように、人生はキャプラの映画のようなものではない。
(「キャプラは、われわれが皆がこうあってほしいと望んでいるような形で、ものごとの姿を停止した。しかし私は、もっとありのままの人生の像を提出することができると考えている」 (ミシェル・シマン『KUBRICK』白夜書房、1989年、245頁)。
You don’t have to make Frank Capra movies to like people. Capra presents a view of life as we all wish it really were., But I think you can still present a darker picture of life without disliking the human race. And I think Frank Capra movies are wonderful. And I wish life were like most any one of them. And I wish everybody were like Jimmy Stewart. But they’re not.)
『素晴らしき哉、人生!』は、全米映画協会(AFI)が2005年に発表した「映画が生まれて過去100年、最も感情を揺さぶられた映画百選(100 Years 100 Cheers)」の堂々トップっていう映画ではあるけれど(表参照)、僕、あれより『カラフル』の方がもっと成熟した映画だと感じた。