その前に、読者の中には「クレヨンしんちゃん」って、2009年に亡くなってしまいましたが臼井儀人〔うすい・よしと〕さんという原作者がいて、原さんのオリジナリティーって何だったのかと思っている人がいるかもしれない。『しんちゃん』の劇場版映画は、実は原作者からかなり独立に、監督の原さんが自分のアイデア、物語でつくっていたってことを注釈として言っておきます。
そのうえで、語弊を恐れず言うと、子供向け映画とは「かくあらねばならない」っていう縛りを全部ほどいて、原さんはいわば、子供のためじゃなく、自分のために撮ったんですね。自分に嘘をつかないためにつくった映画でした、あれは。
原 はぁ。
『オトナ帝国』はなぜ感動させたか
浜野 中でも感動したのは、原さんが自分自身を投影させて造形したキャラクターがあの映画に出てくる。ジョン・レノンみたいななりをしてて、「昔こそが良かったんだ」という主義の男です。
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こいつと、しんちゃんやしんちゃんのお父さんの野原ひろしが生き方の違い、過去に生きてもいいのか、それとも今を生きるべきなのかをめぐって見方の差をぶつけあいながら、「両方ともあり」だという結論になっている。
大人たちはもはや、とにかく今を懸命に生きてさえいればいいんだ、っていう、素朴な現状肯定主義になれません。
なぜかというと、昭和45(1970)年頃、ちょうど原さんが子供のとき夢中になった大阪万博の頃が、あの映画に出てくるノスタルジーの対象なんだけど、あの頃の日本が、今の日本よりそんなに貧しかったとか、劣っていたとは、どうしても思えないからです。
これは、原さん自身の考えでもある。すぐあとで、ライフスタイルのこと聞くけどね。
でも原さんが偉いのは、しんちゃんをして「だって僕、大人になりたいもん」って言わせ、人間にはそうやって、成長する肉体が欲する健康な前進意欲もあるし、あって当然なんだって、そこを同時に認めているところです。
浜野 だから、なんだか知らないけど、あの映画を観て大人たちが泣いちゃったわけ。
そうだ、人間て、ちっとも進歩なんかしないし、捨ててきた時間だって、もしかすると今の時間より貴重だったかもしれない。でもやっぱり、子供を育てなくちゃならないし、その子供には、大きくなったらきっといいことあるよって、言ってかなきゃいけない。そうだよな、人間てのは。
って、ね。こう思うので大人が泣いた。
未来が明るいなんて、ある意味ウソなんです。でもウソと知りながら、人間は未来に向かって歩むほかない存在なわけ。
だから、僕は、その秘匿された両義性みたいなものを子供に言っていいのかと、観たときにショックを受けてね、これはすごい映画だと、ほんとに思いましたよ。子供にはたぶんわかんない…わかんないよね。
原 いやいや、僕が意外だったのは、子供アニメのルールを外れた『オトナ帝国』をつくってしまったら、みんなに怒られて、観客にもそっぽ向かれて、「おまえにはもう任せられない」って言われて…、僕も「いやあ、当然ですよ、こんなものつくっちゃったんだから」と言うっていう、そんな流れになる予想があったんですよね。ところが実際には、観客も喜んでたんですよ。
浜野 子供もね。
原 主に大人が反応はしたんですけど、映画館行って観てみたら、子供も喜んでたんですよね、意外と。
浜野 つまり原さんの場合、その後にいろいろ出た過去懐旧モノ映画とは違ってね、CGなんか駆使して、路面電車が走ってた記憶にありそうな過去を再現するのもいいけど、「昔は良かった」だけじゃないわけ。