2017年は大政奉還から、2018年は五箇条のご誓文発布から、それぞれ150年。これまで語られてこなかった、幕末における城の存在・価値について考え直します。いかにして幕府は終焉を迎えたのか、城が維新に果たした役割とは。歴史の大きな転換期を貫く「流れ」が見える1冊です。
<立ち読み>
まえがき
幕末の日本の城は、戦いのための防御拠点であり、同時に諸藩の政庁でした。江戸時代初期、幕府の一国一城令により、例外を除いて城は各藩に一つとなりました。そのため、藩の象徴としての城の意味と価値は重くなり、武士たちの城に寄せる思いは、とても強いものとなりました。
太平の世であった江戸時代、日本の城郭は軍事的発展の機会を失い、江戸期を通して、ほとんど進化することはありませんでした。
一方、西洋の国々は常に戦乱と緊張の中にあり続け、城、銃、砲、船など、軍事に関する技術は発達し、二百有余年の間に日本の軍事技術は、西洋のそれに太刀打ちできないほどに古臭いものとなっていました。
日本の城は、幕末にはどれも最新の銃や砲に対応できるものではなくなっていたのですが、諸藩はその古い城とともに幕末を迎え、維新の荒波を乗り越えなくてはならなくなっていました。しかし、時代遅れとなった城ではありましたが、城が武士たちの精神的支柱の一つであり続けたことに違いはありません。
これは、武器としてはあまり有効ではない刀が、武士にとって魂とされていたということに近いものと思います。武器として見た場合、刀よりは鑓のほうが有利ですし、鉄砲と刀とでは、比較にすらなりません。
戦国期の火縄銃であれば、連射性もなく雨天では使えないという欠点がありましたが、幕末に西洋から入ってきた最新式の小銃には、雨天でも射撃が可能で、連発式のものも存在しました。また、小銃に銃剣を取り付けてしまえば白兵戦も可能で、刀と比べると、その優位性は絶大でした。ですが、武士たちは最後まで刀を特別視して手放すことはありませんでした。
戊辰戦争では、武士たちは命をかけて城を守り、戦いました。会津で、長岡で、函館で。
武士にとって、城とは藩そのものであり、彼らの忠義の象徴でもあったのでしょう。また、彼らは藩への忠誠と同時に、武士としての自身の存在意義を、城に重ねて見ていたように思えてなりません。
廃藩置県で藩がなくなり、明治九年には廃刀令が実施され、戸籍上にこそ士族身分は残されましたが、武士という存在は消滅します。城もまた、廃城令により、そのほとんどが消えていきましたが、いくつかの幸運な城は残され、それ以外の城も、堀や石垣などの遺構を現在に残しています。
あらゆる城、あらゆる藩にそれぞれの維新がありました。不思議な因縁、気高い心を持った武士の赤誠、生き残るための苦渋の決断など、城に秘められたたくさんの物語をお楽しみください。
目次
まえがき
第一章 忠義 日本の夜明け、その光と影
江戸城[東京都] 幕府、もし戦わば
長岡城[新潟県] ガトリング銃と米百俵
会津若松城[福島県] 悲劇の名城
松前城[北海道] 最後の和式城郭
コラム 幕末偉才伝① 天下一の才人、佐久間象山
第二章 回天 歴史を急展開させた西の雄藩
萩城・山口城[山口県]積年の思いを原動力に
熊本城[熊本県]堅固なる事、日本一
佐賀城[佐賀県]ハイテク武装中立派
鹿児島城[鹿児島県]城で闘った最後の男
コラム 幕末偉才伝② 松下村塾と吉田松陰
第三章 落日 時代の終わりと城の運命
大坂城[大阪府]天下人の城から天下泰平の城へ
二条城[京都府]幕府の終焉を見届けた城
彦根城[滋賀県]度重なる危機を乗り越えて
姫路城[兵庫県]戦いをまぬがれた美しい城
宇和島城[愛媛県]名城と名君主
第四章 光芒 星に彩られた最後の城たち
五稜郭[北海道] 残念で幸せな北の要塞
四稜郭[北海道] 五稜郭防衛で急造された砦
龍岡城[長野県] 名君が遺したミニチュアの城
今回、紹介した城について
城郭用語解説
あとがき