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2017年8月18日

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インドとパキスタンが英国からの独立70周年を祝っている。BBCのインド特派員だった英ノッティンガム大学のアンドリュー・ホワイトヘッド博士が2国の誕生をめぐってなお残る遺産、そして混乱や傷痕について語った。


インドの首都デリーからパキスタンの首都イスラマバードまでの距離は約700キロ。ロンドンとジュネーブの距離より短い。飛行機で言えば短距離扱いだ。

しかしデリーからイスラマバードまでの直行便はない。まったくないのだ。そしてこれは、70年間にわたる互いへの疑念と緊張がもたらした遺産の一つに過ぎない。

もう一つ事例を挙げよう。クリケットだ。

インドとパキスタンは数週間前、チャンピオンズトロフィーの決勝でぶつかった。両国とも熱狂的なクリケット好きだ。

しかしこのクリケットの試合は南アジアではなく、ロンドンで行われた。バングラデシュやスリランカなど同じ南アジアで試合をすることはあっても、互いの国で試合をしないことになっている。

南アジアの地のテストマッチで対戦してから10年がたっている。多くの共通の文化と歴史がありながら、両国はただのライバルではなく、どちらかと言えば敵同士なのだ。

インドとパキスタンが分離・独立してから70年たち、3つの戦争があった。4つと主張する人もいるが、1999年に両軍が衝突した際、正式な宣戦布告はなかった。

インドとパキスタンの一触即発の緊張関係は、世界で最も地政学的に分断されているものの一つだ。この緊張関係が、両国の核兵器開発を促した。

この不安定なこう着状態は地域間の争いでは到底収まらない。より大きな危険をはらんでいる。

インドとパキスタンの独立は同時に成された。当時英国最大の植民地だった英領インドの統治は1947年8月15日に終わった。

数カ月に及ぶ政治のこう着状態の末、英国は国を2つに分割することに合意した。

主にイスラム教徒が多数派を占めるパキスタンは、ヒンズー教徒が多数派を占めるインドで不利益になるとして作られた。

これによってインド最大の州だったパンジャブとベンガルを2つに分割することになった。新たな国境線の詳細は、独立後わずか2日で公になった。

この分割は近代史上最も大きな災難を招いた。戦争と飢饉(ききん)を除き、これまで世界で見たこともないような人口の流動が目撃されたのだ。

正確な人数を計ることはできないが、新国家からまた別の新国家へと必死に移動しようとして、約1200万人が難民となった。

すべての主要な共同社会が加害者、そして被害者となった悲惨な虐殺が繰り広げられるなか、約50万人から100万人が殺された。

大勢の女性が誘拐された。多くの場合、異なる宗教を持つ男たちの手による犯行だ。

特に、何世代にもわたってヒンズー教徒やイスラム教徒、シーク教徒が共に暮らし、同じ言葉を話したパンジャブでは、イスラム教徒は西のパキスタンを目指し、ヒンズー教徒とシーク教徒は東のインドに逃げ、殺伐とした分離がもたらされた。

戦線や敵軍が存在する内戦ではなかったものの、単なる局地的な衝突でもなかった。

すべての勢力に民兵組織や武装ギャングがいて、敵とみなした者に最大の危害を与える計画を練った。

その傷痕は化膿したまま放置された。誰も責任を取らず、和解が見いだされることもなかった。そして長きにわたり、その全貌は明らかにされなかった。

文学や映画は当時の恐怖を表現する手段となった。歴史家たちは当初、印パ分離をめぐる政治の動きを注視していて、それによって起こった出来事の証言に目を向けるまでかなりの時間を要した。

生存者が少なくなるなか、ようやくここ数年、大がかりなオーラル・ヒストリー(歴史研究のための関係者からの聞き取りによる記録作成)の計画が進み始めた。印パ分離の犠牲者の記念碑は存在しない。インド・パンジャブ州アムリツァルで2016年、最初の博物館が建てられた。

印パ分離は両国の関係を毒したと共に、南アジア全体の地政学を形作った(多くの人はゆがめたと言うだろう)。

パキスタンは当初、互いに2000キロ離れた2つの領土を有していたが、1971年に東パキスタンが独立し、新たな国家バングラデシュが樹立した。

独立の取り決めで定まっていなかったことの一つに、カシミール地方の将来があった。カシミールはヒマラヤ山脈の麓の藩王国と呼ばれる自治領で、人口の大部分をイスラム教徒が占めていた。ヒンズー教の藩主はインドへの帰属を決めた。

数カ月のうちに、両国の兵士がカシミールの支配を争って戦った。

カシミールの複雑な紛争問題は未解決のままで、他のどの問題よりも両国関係に多くの困難をもたらし続けている。

またインドは、パキスタンがインドの都市でテロのような攻撃を仕掛けた武装勢力を支援していると非難している。パキスタンは、インドがパキスタンのバルチスタン州などで分離派の動きと結託していると主張している。

両国の政治指導者たちは折に触れて会合を開いており、関係打開の期待が高まるときもあるが、現在のところ、関係は明らかに冷え切っている。

影響は広範囲に及んでいる。

インドは、西の隣国パキスタンよりもナイジェリアやベルギー、南アフリカなどの国との貿易の方がはるかに大きい。

インドのボリウッドとして知られる圧倒的な成功を収めているヒンズー語の映画産業は、パキスタンでも絶大な人気があり、パキスタンのテレビドラマもインドで熱心に観られているが、両国の文化のつながりは弱い。

緊張が高まると、実際に定期的に高まるのだが、両国関係の全ての面が悪影響が出る。

ほんの数カ月前、インドの一流映画監督の一人であるカラン・ジョハル氏は、自身の映画でパキスタン人俳優を二度と起用しないと約束せざるを得なかった。

両国とも国境をまたいだ相手国で何が起きているかをあまり知らない。インドやパキスタンの大手メディアは現在、相手国の首都に特派員を置いていない。

インド人とパキスタン人両方にとって、相手国に行くことは簡単ではない。たとえ家族を訪ねる場合であっても。

査証(ビザ)を取ることが難しいわけでも、両国の首都間の直行便が不足しているわけでもない。両国間にはほとんど空路がないのだ。

長い国境線を共有しているにもかかわらず、両国にはほとんど国境検問所がない。

パキスタンでは軍と情報機関が圧倒的に力を持っており、軍事政権が支配する期間が幾度もあった。

はるかに大きな隣国からの絶え間ない軍事的脅威により、軍事機関の力が増長し、成熟した民主主義の発展を妨げていると多くの人が感じている。

パキスタンの人口は約2億人で、大多数はイスラム教徒だ。インドの人口は13億人近くで、7人に1人はイスラム教徒。インドにはパキスタンのイスラム教徒と同じくらい多くのイスラム教徒がいる。

ある予測では、2050年までには、インドはインドネシアを抜き、イスラム教徒が世界で最も多い国になる。しかし、イスラム教徒はインド議会や社会のその他多くの分野で活躍の場が少ない。

インド人のイスラム教徒がパキスタンに同調しているという認識が、それがどれほど不当な認識であっても、偏見と差別を助長していると考える専門家もいる。

ほぼ全てのインド人とパキスタン人が、自国にプライドを持っているのは明らかだ。愛国主義は両国で力強い原動力になっている。

両国がクリケットで対戦する時はいつも、愛国心が前面に出てくる。だが、双方とも70年前の最良の瞬間であるはずだった時に起こった悲劇の遺産を克服できていない。

そして、一番最近のクリケットの試合の結果はどうだったか。はっきりさせておくと、パキスタンが予想外の圧倒的勝利を収めた。

潔く負けを受け入れたインド人もいた。だがソーシャルメディアや一部のインドのマスコミは、怒りと悔しさに満ちていた。往年のライバルの前で面目を失うのは、多くの人にとって、今でも耐えられないほどの痛みがあるのだ。


1947年8月の分離・独立

  • 戦争と飢饉を除けば、史上最大の人口流動かもしれない
  • インドとパキスタンという新たな独立国家が2つ樹立された
  • 宗教間の衝突で約1200万人が難民となり、約50万~100万人が殺された
  • 大勢の女性が誘拐された

<記事について>

この分析記事はBBCが委託し、外部機関の専門家が寄稿した。

アンドリュー・ホワイトヘッド博士は、BBCインドの元特派員で、1947年のカシミールについての著書がある。現在ノッティンガム大学の名誉教授。

(英語記事 Partition 70 years on: The turmoil, trauma - and legacy

提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40946891

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