広島カープの外野守備走塁コーチを務める河田雄祐は、1985年秋のドラフト3位で帝京高校から広島に入団した。控えながら俊足巧打の外野手として活躍し、96年に西武に移籍。2002年で引退して指導者に転身し、15年で退団すると、その直後に広島へ復帰した。当時、こう意気込みを語っている。
「正直に言って、カープの外野守備と走塁のレベルは、パ・リーグに比べるとまだまだだと思います。ぼくは西武のコーチとして、パの優秀な外野手を数多く見てきましたから。丸(佳浩)や(鈴木)誠也ならもっとレベルアップできる。そのためにぼくが教えられることは何でも教え込みますよ」
外野へ向かってノックをしながら、河田は声をからしてこう叫んだ。「待って捕るな! 前へ突っ込んでこい、前へ! 後ろへ逸らすことを恐れるな!」と。
キャンプの居残り特守では、外野手の丸や堂林に内野手の安部も加え、激しいノックを浴びせた。その狙いをこう語っている。
「堂林には丸の動きを見て吸収してほしい。安部も一緒にやらせたのは(緒方孝市)監督の危機管理です。万が一、外野手が足りなくなったときに備えてね。長いシーズン、何が起こるかわからないから」
安部は07年のドラフト1位で、3位の丸と同い年の同期生だから、当然ライバル意識は強い。河田のノックした打球をたまに丸がポロリとやったりすると、間髪入れずに安部が大声でツッコミを入れる。
「丸が慢心してます! ゴールデングラブ賞を獲っていい気になってます!」
河田のカープ復帰はコーチ人事においてもちょうどいいタイミングだった。15年まで内野守備走塁の担当だった石井が打撃コーチに配転され、石井が立っていた三塁コーチスボックスの席が空いた。そこへ、16年から河田が収まることになったのである。
西武で約10年間一・三塁のベースコーチを務めた河田は、カープの機動力を飛躍的にアップさせた。現に、チーム盗塁数は15年にリーグ4位だった80個から、優勝した16年にはリーグ1位の118個に激増。黒田博樹、新井貴浩らと同じように、河田もまた古巣を優勝させるために帰ってきた人間なのだ。
今季、カープの走塁技術は昨季よりも一層向上している。そのレベルの高さを実証したのが4月11日、東京ドームでの巨人戦だ。
0-3と3点をリードしていた六回、1死一・三塁のチャンスで安部が一塁ゴロに打ち取られた直後だ。打球を拾った巨人のファースト・阿部が躊躇したその一瞬、隙を突いて三走の鈴木が本塁を陥れ、追撃の1点をもぎ取った(記録は阿部の野選)。河田がゴーの指示を出したのかと思ったら、違った。
「阿部が三塁側に背中を見せた瞬間、誠也が自分で〝いける!〟と判断して突っ込んだんです。ああいうプレーは、コーチがその場で指示してできるものじゃありません」