定年バックパッカー海外放浪記

2017年9月17日

»著者プロフィール
閉じる

高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2016.6.18.~9.14 89日間 総費用18万2000円〈航空券含む〉)

食堂の無邪気なボーイはネパールからの出稼労働者

 7月3日。梅雨の合間のような空模様だ。朝飯に寺院の門前に何軒か並んでいる食堂兼チャイハネ(お茶屋)の一つに入りプーリー(小麦粉をふっくらと揚げたパン)、豆と芋の煮物、チャイ(香料の入ったミルクティー)という定番セットを注文。

ネパールからの出稼ぎ少年

 この店は親爺の愛想が良いのと、中学生くらいの兄弟らしいボーイの応対がキビキビしているので毎朝通っていた。

 朝9時過ぎなのですでに小中学生の登校時間を過ぎているが兄弟らしい二人はまったく学校に行く気配がなくジャガイモの皮を剥く作業をしている。

 親爺に「あの二人のあんたの子供たちは学校に行かないのか?」と聞くと親爺は怪訝な顔をして答えた。「あの二人はネパール人で俺の家族じゃないよ。ネパールから出稼ぎに来ているんだよ。」インドも貧しいがネパールはもっと貧しいことが想像できた。

 日本人の目から見ればネパールも北インド山間部もさして変わらないが、少しでも経済格差があれば僅かな現金収入を求めて故郷を離れて出稼ぎをするのが経済のグローバル化なのであろう。

食堂で働くネパールからの年少の出稼ぎ少年と食堂オーナー

ブルーシートの粗末なテント

 湿った空気の中、村の中心から坂道を上がってゆくと人里から離れた空き地に汚れたブルーシートのテントが折り重なるように立っていた。周囲に鍋釜が置いてあり簡単なかまどが設けられているので人が住んでいるようだ。近づいて中を覗くと小さな子供が数人遊んでいた。親たちは働きに出たのであろうかテントの周辺に大人の姿は見えなかった。少し離れたところにある山の斜面の湧き水で老婆が一人食器を洗っていた。

ウッタル・プラデーシュ州からの出稼ぎ一族が暮らしているテント

 さらに山道を上がってゆくとカマを持った農作業に出かける地元のオバサンたちに出会った。テントの住人について尋ねると「ウッタル・プラデーシュ州から来た人たちで道路工事や農作業の手伝いをしている」とのこと。

サラハンのマハラジャの別荘

 後で調べるとウッタル・プラデーシュはインド北東部に位置する約2億人というインド最大の人口を抱えておりビハール州と並んでインドの中でも最貧困州である。北インドの旅ではブルーシートなどを使った粗末なテント暮らしをする出稼ぎ集団を頻繁に見かけた。

キナウル渓谷地方の民族帽子を被るオジサン

雨宿りにリンゴ園の休憩小屋へ

 さらに峠を目指して山道を登ってゆくと雨が降り始めた。一人の青年が農園の小屋で雨宿りするから一緒に来ないかと誘ってくれた。彼はこの一帯の山のリンゴ農園の当主であるサンジーンであった。山道を外れてリンゴ園の急斜面を登ると高台の作業小屋が見えてきた。

リンゴ農園主で篤志家の青年サンジーン氏

 一階が土間の作業小屋で二階に縁側と板敷の居室がありテーブルと椅子が置いてある。サンジーンは大地主でリンゴ農園を経営する名門の出身であった。親族からは陸軍司令官や州知事も輩出している。

 彼については本編第2回、第3回でも紹介している。なぜインド人がインド国軍を誇りに思っているのか、インド人は中国をどのように認識しているのかサンジーンの見解は興味深いものであった。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る