2024年4月29日(月)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月12日

 音楽だったら、キミらはこれ聞かなきゃだめだ、って書いてあったのがザ・ビートルズのことだったし、67年にデビューした森山良子だったりね。

 いわば若者のライフスタイルを規定するメディアが、60年代にはたくさん出てきました。僕ら喜んで「規定されて」ましたね。僕にとっては15歳からの10年間だし。

VAN、JUN、EDWARD'S、そして伝説の喫茶店

石坂 例のアイヴィー・ルックで銀座を闊歩したみゆき族だって、「みゆき族のためのご案内」みたいな記事が『平凡パンチ』に載ってて、「銀座のここに行くんだ」というね。それを見て出かけてた。

 「お茶を飲むならジュリアン・ソレルで飲め」とか。みゆき通りにあったんですよ、スタンダールの『赤と黒』の主人公ですけど、ジュリアン・ソレルというのはね。

 でジュリアン・ソレルにホントに行ってみたら、洋装店の紙袋もった高校生だか大学生みたいのが、コーヒー飲んでてね、「うわあカッコいいな」なんて思ったもんです。

 そうするうちにVANができて、JUNができて。EDWARD'Sのハンカチもってないと汗拭けないだろ、なんて。それまで汗ってのは、洋服の袖で拭くものだったのにね。

 そうかワイシャツってのもやっぱり着なきゃいけないんだ。でボタン・ダウンてのはこうなってんのか、なんて、要するに男のファッションが自立していった時代ですね。

 そしてそこには水先案内してくれるメディアがあった。それ以前というのは戦後復興で忙しくて、若者にポケットチーフのあしらい方、教えてくれる大人なんていやしなかった。このころ初めてそれが出るんです。60年代はそういう時代。

 西洋は遠い。イギリスは「紳士の国・イギリス」だし、ロンドンは「ガス灯と霧のロンドン」でね、僕ら「なるほどぉ、ロンドンは霧かぁ」って想像するだけですよ。行くんならロンドンのカーナビーストリートじゃなきゃ、って、みんな頭でっかち。実際には行けないんで。

 そこにVAN、JUN、EDWARD'Sと出てきたんだからね、わかるでしょ、画期的だったこと。『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』はそこをどんどん煽って、音楽、クルマ、女、ファッション。これに徹してました。

 同時に文化水準を維持してて、横尾忠則さんから政府の閣僚、一流の科学者まで『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』に出てます。カッコいいじゃんか、日本も、と、僕ら思った最初の世代ですね。

 『新宿プレイマップ』を読んでないと時代に遅れることになっていたし、『話の特集』読まなきゃ知的快楽がないじゃないかとか、まあ忙しいこと。

 東京だけじゃないですよ。京都だったら京大の西部講堂で(ロックバンドの)村八分が出るっていうから加藤和彦なんかと見に行ったり。加藤和彦っていやあ、フォーク・クルセダーズが出てきたときは「日本のビートルズだ」とも言われたかなあ。


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