メディアの達人にして希代のネットワーカー、浜野保樹教授と訪ねるインタビュー・シリーズ。
今回のお相手は、ユニバーサル・ミュージック会長兼CEOの石坂敬一さんだ。
会話の文章は句点「。」の度、なんと音符と詩、ベースドラムの鳴動を響かせた。
ジョン・レノンの忠実なる執事をもって任じ、ピンク・フロイドを日本に広め、
いま福山雅治はじめ、ヒットを稼ぐアーティストたちの、音の星座を送り出す人。
そんな石坂さんから、時代と世相を語って縦横無尽のコトバが流露する。
1960年代がまざまざと眼前に甦り、気づけば英国文化の深層にいざなわれている。
レコード協会会長として、音楽産業の未来に期待をつなぐ石坂さん。
どうしていつも、いつの時代も、先端人、それもとんがった「企業人」でい続けられたのか。
1位を取ると、世界が変わる
浜野保樹教授(以下「浜野」) 「龍馬」役の福山雅治さんは、いま最も知名度の高いミュージシャンかもしれません。福山さんの音楽も石坂さんの会社(ユニバーサル・ミュージック)ですよね。
トップスターを出すってことは、レコード会社にいる石坂さんにとってどんなことなんですか。そこからひとつ。
石坂敬一会長(以下「石坂」) そりゃ達成感はありますね。事業としてよくまあここまでという、ね。
福山さんにしろ、ある時期のユーミンにしろ、自分のところで出しているアーティストがチャート1位を取った時の喜びというのは、これは味わった人でないとわからない。
世界が1ページか2ページ、めくれる感じ、って言ったらいいかな。
だから会社に来るのが、楽しみで楽しみで。
「1位ですね」、って言ってくれるし、言ってくれなかったら自分で言っちゃうし(笑)。1位取ったアーティストだと、だいたい、世の中じゃ床屋さんから、コンビニの店員まで、誰でも知ってる。
ガソリンスタンド行って、「福山さんもユニバーサルなんですね」なんて言われたら、待ってましたとばかり、「モチ」ってね。
1963年・ビートルズが発した「音」の衝撃
浜野 石坂さん、1968年に慶應義塾大学の経済をお出になって、東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)に入られてからは、ビートルズと一緒に歩まれた道のりでした。