あのころジョン・レノンは、労働者階級にとっての英雄の歌だとか、例の「Imagine there's no heaven」とか、「パスポートのない国をつくってみよう」ですとか、そんな歌をね。
言ってしまうと空想社会主義者に近い主張を歌に込めてましたよ。(シャルル・)フーリエ、(ロバート・)オーウェン…。そういう連中ほど理論的じゃなかったから、「ユートピア」のトマス・モアかな。
イギリスは、多いですよね、そういう系譜の思想家が。当時わたしは、やっぱりジョンもそんなふうになっていくのかな、と。
中には批判する人がおりました、日本でも、それからアメリカでも。
「ジョン・レノンはあんな莫大な財産を抱えておいて、イマジンだの、Woman is the nigger of the worldだの、よくも言えたもんだ」っていう。
だけど思想家ってのはそういうもんだと、僕なんか言ってました。社会主義思想家の出自が貴族階級だってことは、少なくない。
それを思うと、満ち足りたジョン・レノンをもってして初めて言える、万人平等の世界に対するイマジネーションっていうのは、オノ・ヨーコさんの場合もそうだが、あるのじゃないか。
オノ・ヨーコと連帯します!!
浜野 なるほど。
石坂 1963年ごろですかね。オノ・ヨーコを青山通り沿いにある草月会館で見たんですけど、なんか、つくねんと座ってましたよ。
浜野 …?
石坂 舞台に。ええ。ずーっと、座ってるの。で、音叉みたいの持ってて、音をひとつぽーんと出して。「わたしはこの音がする限り実在する」、とか、「音とともにいなくなる」、だったかな、そんなこと言って。
浜野 前衛芸術…。
石坂 僕はオノ・ヨーコのシングル、日本向けに初めて出すシングル盤ってのを手掛けたんですが…。
売れねえだろうなあって思ったけど、ヨーコさんが「いいのできたわよ、あなたお聞きなさい」って。