1977年には、これはいまでも古びていないと思いますが、『BEATLESの事典・四人のすべてがわかる本』(ごま書房、ゴマブックス)という著書も上梓されてる。
そんな石坂さんから見て、彼らはどうしてあんなに受け入れられたのか。20世紀のアイコン(象徴)って言ってもいいですよね。
石坂 わたしがビートルズの音を最初に聞いたのは、1963年で。
あのころはラジオに面白い番組がありまして、BBC制作「ザ・ベスト・オブ・ブリテン」ていうのがあった。月曜、金曜、深夜放送のハシリみたいな時間帯でやってましたね、ニッポン放送が。DJは糸居五郎。
聞いてると、イギリスで、「髪の長い4人組が、凄い人気です」みたいな話だった。で、かかったのが、「プリーズ・プリーズ・ミー」。彼らの公式シングル第2弾、1963年の2月ごろ。これを聞いたのが、初めての出会いですよね。僕は高校生です、そのとき。
その後、しばらく日本には入らなかったんだね。アメリカで火がついてからです、日本に本格的に入ってくるのは。つまり1963年12月から、翌年以降ですね。
何か、全然違う音だな、って思った。
浜野 どんなふうに?
石坂 その頃のアメリカ音楽は、プレスリーの退潮とともに、バラッドが多かった。ビーチ・ボーイズのようなサーフ・ミュージックが台頭しつつあったけど、それほどでもない。
チャビー・チェッカーを中心とするツイスト音楽が、これも段々下火になってきてた。59年に結成したザ・ベンチャーズのインストゥルメンタルは、徐々に盛り上がりつつあったという、そういう時期です。
要は、穏やかでマイルドな曲が多くなっていたんです。そこへビートルズが、今で言えばヘヴィ・メタル並みのエレキ・サウンドでかかったんで、オイオイこりゃなんだ、と。しかも、ブルース・ハーモニカが入ってた、編成に。これはアメリカでは下級とみなされた楽器で、あまり使う人がいなかった。黒人の楽器で、白人の音楽には入らないという不文律があったのに、ビートルズはそれを使ってた。そこも新鮮。
浜野 なるほどねえ。