「女性上位万歳」っていうタイトルの曲なんですよ。1974年ですけどね。そしたら、ウーマン・リブ運動のリーダーってのが訪ねてきて。
凄かったなあ、なんせ、「オノ・ヨーコさんと連帯します」って言うから。
「はぁ…、よろしくお願いします」(笑)って。
60年代、何もかもに目覚めた時代
浜野 音楽が社会的な力をいちばん持ってた時代ですね。
石坂 まったくそうですよ。
浜野 あのころ、というのは60年代末から70年代にかけてですが、僕は、「あぁ映画はもうダメかもしれない」って思うことがあった。
映画の観客の中心であった若者たちの自己表現になり得ていない。映画作りが複雑になり、作り手は大人になり、「これこそ俺たちのことを表現している」と思わせる映画が、もはやなくなってた。ギターさえあれば誰でも簡単に表現できる新しい音楽が、若者の自己表現の中心的な手段になってしまった。
「テレビが映画をダメにした」とよく言うけど、それだけでなく、映画が衰退したのにはロックやフォークなどの音楽の影響が大きかったと思っています。
石坂 うんうん。1960年代って、ロックにとって重要だったと思う。
日本だけのことを例にとっても、60年安保から70年安保までの10年。男が、ファッションに目覚めた時代。
当時のライオン歯磨から、最初のファッション素材が出た。「Vitalis」ですよ。1962年にニッポン放送が「バイタリス・フォーク・ビレッジ」っていう番組を始めて、僕ら「バイタリスってカッコいいな」とホントに思った。それまでなにせ、「柳屋ポマード」とかね…
浜野 丹頂…
石坂 「丹頂チック」とか。
「Vitalisってカッコいいぜ」って僕ら。何がカッコいいって、名前が、なんですが(笑)。
それで1964年に『平凡パンチ』が出る。あの頃はヘレン・ヒギンズ(活動の本拠は日本。50年代末には邦画にも出演)とかねえ、当時のモデルが半分脱いだりして。
「男はこういう生き方しよう」って、ミニ・クーパーに乗ってる誰とかの話とかね。それ読んじゃあ、みんなして「ミニ・クーパーに乗ろうぜ」なんて言ったり。
そしたら誰かが、「スバル360だって気分はミニ・クーパーだ(笑)」みたいなことを。