チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年10月25日

»著者プロフィール
著者
閉じる

富坂 聰 (とみさか・さとし)

ジャーナリスト

1964年、愛知県生まれ。北京大学中文系に留学したのち、豊富な人脈を活かした中国のインサイドリポートを続ける。著書に『苛立つ中国』(文春文庫)、『中国という大難』(新潮社)、『中国官僚覆面座談会』(小学館)、『ルポ 中国「欲望大国」』(小学館新書)、『中国報道の「裏」を読め!』(講談社)、『平成海防論 国難は海からやってくる』(新潮社)、『中国の地下経済』(文春新書)、『チャイニーズ・パズル―地方から読み解く中国・習近平体制』(ウェッジ)などがある。

 習近平国家副主席が、10月の第5回中国共産党中央委員会総会(5中全会)で党中央軍事委員会副主席への就任が決まった。今回の5中全会では人事はやらない、経済問題に特化するとの噂もあったが、ふたを開けてみれば下馬評通りの選出となった。

 本来なら昨年の時点で選ばれていても不思議ではない人事だけに、さして驚きもなく受け止められているが、1つだけこの人事によって明らかになったことがある。それは、2012年の18回大会(中国共産党第18回全国代表大会)で習近平が胡錦濤から総書記のポストを引き継いだ後も、党中央軍事委員会主席のポストだけはしばらく胡錦濤が続けることになるだろうということだ。

江沢民派VS胡錦濤派
権力闘争はホントにあるの?

 このことを巡っては、2年後に日本のメディアが「胡錦濤が院政を敷いている」とか「胡錦濤派(共産主義青年団派)VS習近平(「太子党」派)」、「習は軍権が掌握できていない」などと北京発で一斉に報じるだろうことはもはや予想の範囲だ。ここでは詳しく言及しないが、中国共産党の政治がそんなに驚くほど単純だったことはないし、長年にわたって対立してきたはずの「江沢民派(上海閥)」と「胡錦濤派(共青団閥)」の間に目に見える抗争の生々しい痕跡がまったく表面化していない――陳良宇(元上海当委員会書記)事件がそうだとの見方はあるが、ここでも江沢民が積極的に発言したり行動した形跡はない――というのも奇異な話だ。そして何より、この対立の構造による中国分析が、はたしてこれまでの日本の対中国外交にどんな貢献をしたのかと考えると、寂しい限りだ。

 そもそもポスト胡錦濤を占う2007年10月の17回大会で日本の各メディアはお得意の「江沢民派」VS「胡錦濤派」の対立図のなかからそれぞれに近いとされる若手の有力候補を競って挙げたが、どこも習近平の名を挙げたところはなかったはずだ。つまり、どちらの派閥の有力候補でもなかったのだが、それがいつの間にか今回は「江沢民派」として位置付けられているのは、あまりご都合主義が過ぎるというものではないだろうか。

習近平がすぐに軍委主席にならない理由

 さて、本題に入るが、習の選出がもし暗闘の末の産物でないとしたらそこには共産党の考えが反映されていることになる。私は前回、習に関する原稿(2009年11月11日『ポスト胡錦濤 習近平の政治感覚』)で、習が総書記を引き継いだ後もすぐには軍事委員会の主席にならないのは、共産党の軍をつなぐパイプが習一人ではあまりに不安定になるとの配慮が働いたためと書いた。そしてこの考え方はいまも変わっていない。

 どんな組織も同じだが、トップ1人が落下傘で降ってきても、組織を従わせることは容易ではないのは、これほどやさしい日本の企業やそのなかの1セクションとて同じだ。何かやろうとしても、すべて現場の都合の良いように骨抜きにされてしまうのが関の山だからだ。これが機能するのは倒産した会社のように降参した組織だけだが、中国人民解放軍は相当にタフな組織だ。

胡が軍委主席に残る背景にある共産党の危機感

 だからこそ軍委の主席と副主席に党の最高指導部から2人入っていることが重要になるのだが、習と実力の拮抗する人物を入れてしまっては権力闘争の深刻な種になる。これは毛沢東の時代に築かれた、権力闘争回避のための1つの安全装置なのだ。いくら総理であっても温家宝が決して軍に近寄らないのはそのためだ。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る