使えない上司・使えない部下

2018年1月16日

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吉田典史 (よしだ・のりふみ)

ジャーナリスト・記者・ライター

ジャーナリスト。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。
主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、
震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

 前回と今回は、元プロレスラーのキラー・カーンさん(本名・小澤正志)を取材した。1970年に大相撲を廃業し、71年に日本プロレスに入門。73年に新日本プロレスに移籍後、191センチ、135キロの大型選手として頭角をあらわす。

 77年からは海外武者修行でメキシコへ、79年からアメリカで試合を繰り返す。アンドレ・ザ・ジャイアントやジャック・ブリスコ、ダスティ・ローデス、ハルク・ホーガンなど、当時の全米トップレスラーと激戦を展開。

 ヒール(悪役)として広く知られ、アメリカでは人気・実績で日本人レスラー・ナンバー1になる。

 日本では、新日本や全日本のマットで活躍するが、87年に突然、プロレス界から姿を消した。現在は、飲食店「キラーカンの店 居酒屋カンちゃん」(新宿区大久保)をJR新大久保駅そばで営む。歌手としてもデビューし、2017年には『"蒙古の怪人" キラー・カーン自伝』(辰巳出版)を著し、突然の引退劇の裏側などを明らかにした。

キラー・カーンさん

役割を心得て、お客さんが喜ぶ試合をしないとダメなんだ

 プロレスには、裏がある。そりゃそうだよ。ボクシングならば、グローブで殴り合うし、(明確な)ルールもある。だけど、プロレスは素手で殴り合う。お互いの信頼関係がなければ、試合が成立しないんだ。

 俺は、アメリカや日本でアンドレ(ザ・ジャイアント)と何度も試合をした。互いに信頼できるものがあったから、あそこまで闘うことができたんだと思う。アンドレのあの大きなヒップドロップを顔に落とされたら、死ぬと思うくらいにきつかった。それでも俺は信用していたから、アンドレも俺のよさを引き出してくれた。

 試合は、お互いにつくるものなんだよ。ただね、ヒールが試合をリードし、つくっていくんだ。それができないと、一流のヒールにはなれない。

 猪木さんと(タイガー・ジェット)シンが(1970年代後半に)闘っていたときも信頼し合っていたから、いい試合をできたんだと思う。シンはあの頃、一流のヒールだよ。

 信頼される人間にならないと、ダメなんだ。プロレスラーは強いことが、絶対に必要だよ。日本でも、アメリカでも道場破りはいる。俺がアメリカにいるとき、マサ(斎藤)さんと一緒にいたら、アメリカ人の男が「俺と闘え!」とマサさんに言ってきた。アマレスをしていたようだった。マサさんは、受けてたったよ。最後は、めちゃくちゃにしていた。男は、悲鳴を上げて逃げていった。俺は、昨日のことのように覚えている。

 選手として一流になるためには、信頼される人間になることが大事なんだ。マサさんは、その両方を兼ねそなえていた。プロレスラーって、難しいよね。強いだけではダメなんだよ。

アメリカのプロレス界では、嘘をつかないことがまず必要だ。その次に、会社の求めている役割とか、立場を心得て、お客さんが喜ぶ試合をしないとダメなんだ。必ず、立場や役割があるんだよ。それを無視して、「俺は強いぞ」と粋がっている選手はまず、上がれない。だから、俺はアメリカのプロレス界が好きだった。

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