使えない上司・使えない部下

2018年1月16日

»著者プロフィール
閉じる

吉田典史 (よしだ・のりふみ)

ジャーナリスト・記者・ライター

ジャーナリスト。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。
主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、
震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

認められないところに残っても、無駄だよ

 プロレスを離れて30年近くが経つ。プロレスは、俺の中では終わったことだ。いい思い出でもあるけど、嫌な記憶もある。あの頃、俺は1歩下がって、自分の役割を果たしていただけだ。子どものころから、「俺が…俺が…」と前に出るのは嫌だし、できないんだ。何をされても、もめごとを避けて、引いていた。利用されやすいし、だましやすいんだろうな…ハハハ。こういう男もいるよ。損をする性格なんだ…(苦笑)。

 おふくろから、人をだましてはいけないとよく言われていた。そして、「人を信じなさい」って。「人をいじめちゃいけない」「人に迷惑をかけるな」ってね。

 現役の頃、俺がおふくろにお金を送っても、受け取らないんだ。早いうちに、夫(カーンさんの父)がいなくなった。

 おふくろはその後、「便利屋」という仕事をしていた。町内を歩きまわり、注文をとり、長岡市(新潟県)の問屋で品物を集め、依頼者に商品を渡すんだ。俺が小学校低学年の頃には、薬剤師の資格を猛勉強して取って薬屋を開業し、ひとりで俺たち3人の子を何ひとつ不自由なく生活をさせてくれた。俺は、おふくろの寝顔を見たことがない。昼は働き続け、夜は疲れた体で薬剤師の勉強をしていた。

 おふくろは(1970年~80年代に)、俺がアメリカで活躍していることを知ると、すごく喜んでいたみたい。おふくろが死んだ後、友人たちからそのことを聞かせられた。親孝行ができなかったな。それが、悔やまれるよ。

 アメリカのギャラをきちんと受け取っていれば、まだ、「俺は、お金が十分にあるよ」とおふくろに言って渡すことができたのに。本当に悔しい。

 人生1度だよ…。会社員も今の会社や上司に認められないならば、なぜ、俺を認めないのかと問い詰めた後で…ハハハ…ほかの会社に移るのも1つの生き方じゃないかな。認められないところに残っても、無駄だよ。

 上司と言えば、思い起こしたことがある。俺がプロレスを離れた後、新日の小林邦昭選手の結婚式に呼ばれた。10人ぐらいがかける丸いテーブルに座った。俺は、坂口夫妻の向かいだった。坂口さんが席を外したとき、坂口さんの奥さんが「小澤君、お店を出したんでしょ!(私たちに)言わなきゃダメじゃない!ご祝儀を上げないといけないんだから…!」と言っていた。

 そのテーブルに座っていたみんなが、しらけちゃったね…(苦笑)。ふつうは、「ちょっとこちらへ来なさい」と俺を隅に呼んで「がんばりなさいよ」と言って、そっと祝儀を渡すものじゃないかな。

 もう、30年近くたつが、今なお、俺には「ご祝儀」をくれないんだよな。あの夫婦は、ゴールデンコンビだな…ハハハ。

 俺にとって日本プロレスの頃の吉村さん、新日の頃の北沢さん、山本小鉄さんは恩人であり、本当の上司だ。猪木さん、坂口さん、新間さん? もう、いいよ。今回はあくまで取材だから、あえて「さん」をつけたんだ…ハハハ。

 俺は、おふくろから「嘘をついてはダメだ」と言われていたから、今回のインタビューで答えたことは、すべて事実だよ。おふくろから「人をだましてはいけない」と言われていた。それを守って生きていくつもりだ。

 話の続きを聞きたいならば、俺の店に来てよ。たっぷり話すよ…ハハハ。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

関連記事

新着記事

»もっと見る