2018年はロシアワールドカップの年。日本代表は5大会連続で、初出場してから20年になる。1998年以降に生まれた若者たちは、日本が出なかったW杯を知らない。筆者はアラフォー世代。1994年アメリカ大会のアジア最終予選ではラジオに噛り付き、悔し涙を飲んだ。それを遡ること4年、雨で中止になった体育の授業時間、1990年イタリアW杯のビデオを先生が見せてくれた。オリンピック以外に世界にはこんな祭典があるのかと驚かされ、日本がまだ出場したことがないと聞いて残念に思った。そんな日本が今やW杯常連国である。
この成功に羨望の眼差しを送っているのが、東南アジアのサッカー関係者。1993年に10クラブで誕生したJリーグは、J1、J2、J3へと拡大し、54クラブ38都道府県にまで広がった。裾野の広い構造は、日本サッカー全体のレベルアップ、そして代表チームの強化につながっている。かつての日本と同じく、W杯未出場国の東南アジアのサッカー関係者にとって、日本のJリーグはベンチマークするべきモデルにまでなった。
ゴールドマンサックスから、故郷のサッカークラブへ転身
毎年、東南アジアのサッカー関係者が研修のため日本を訪問する。そこでの講師として圧倒的人気を誇るファジアーノ岡山の木村正明代表。地元の名門岡山朝日高校から東京大学法学部、そしてゴールドマンサックスの執行役員を務めた。2006年地元の友人から説得を受け、37歳で岡山に戻る決断をした。
木村さんが代表に就任し、当時の経営陣で徹底的に話し合い、ある理念を設定した。
「子どもたちに夢を!」
代表に就任した当初は、旧川崎製鉄(現JFE)のOBチームが基礎になっており、プロチームですらなかった。地域リーグからJFLに昇格することで有料試合を行うようになり、そして2009年にJ2に昇格。2016年にはJ1昇格プレーオフに出たが、あと一歩およばず。2017年は13勝6分13敗の13位(全22チーム)だった。
プレーオフに出たため、チーム作りが遅れたことが原因の一つだという。プレーオフに出るとJ1のスカウトなども観戦に訪れ、選手の品定めを行うほか、プレーオフにでなかった他のチームはシーズン中に目にとまった選手の獲得にいち早く動く。ファジアーノは17年、主力の多くが抜けてのスタートになった。
それでも、木村さんの表情は暗くない。「子どもたちに夢を!」こそがゴールであり、J1昇格もそれに向けてのワンステップにすぎない。だからといって、J1昇格を先延ばしにしてよいということが言いたいのではない。
というのも、結果を出すだけでは、集客が増えたり、チームが地域に根付いたりということには必ずしもつながらないからだ。例えば「チームが強くなれば、プレーの質が上がれば、お客さんが増える」と考えがちだが、高校サッカーの全国選手権の試合にJリーグの試合よりも多くの観客が入る。クオリティと集客は必ずしも一致しないのだ。