WEDGE REPORT

2018年5月21日

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Wedge編集部 友森敏雄 濱崎陽平

明治150年目の憂鬱

岩国錦帯橋(bhidethescene/iStock)

 長州にルーツ(両親が山口出身で、筆者も里帰り出産で山口県生まれ)を持つ者として、ここ数年気になることがあった。「反薩長本」が増えていたことだ。しかも、売れている。これらの本に書いてあることが「間違っている」などと反論したいということではない。なぜか自分が責められているようで、どことなく居心地が悪い。

 「悪いところがあったとしても、それだけじゃないでしょ?」と、反論しようものなら、それはお前が「山口出身だから擁護したいだけだろ?」と、言われてしまうんじゃないか……。これまでも、東北地方などでの取材のときには気を遣ったが、「反薩長本」がジワジワと盛り上がるなかで、東京にいても肩身が狭くなってきた。

 そんなある日、「僕の両親も“実は”鹿児島なんですよ」という編集部員が現れた。「実は…」というあたりが、こいつも自分と同じ思いをしていたのでは? と思いながら、話していると次第に熱を帯びてきた。「いま、大きな変革期を迎えているからこそ、明治に学ぶことがあるはずだ!!」と。編集部内での薩長同盟の成立である。「我々が先人から学ぶことができることは何か?」というテーマのもと、作成したのが本誌6月号特集『明治に学ぶ日本のリノベーション』である。

 反薩長という動きは、50年前の明治100年記念、1968(昭和43)年のときもあった。当時は、明治維新を礼賛するということは「戦前回帰」として批判されたという。もちろん、日本を破滅に導いた昭和の帝国陸海軍部、それにひもづく統帥権問題など、明治期に後に大きな禍根となる問題の萌芽があったことも事実だろう。

 それでも、明治維新という「変革」を、一寸先は闇といった中で、西郷隆盛40歳、大久保利通38歳、伊藤博文28歳という若さのなかでやり遂げたことには、学ぶべき教訓があるのではないだろうか。また、「勝てば官軍」と揶揄されるように、明治の立役者たちが多分に英雄視、神格化される傾向もあるが、普通の人間だったということも強調しておいきたい。それを代表するのが、西郷隆盛である(ここで、薩摩出身者に筆を譲る)。

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