チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年7月12日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

習近平国家主席を頂点とする現在の共産党政権中枢が幼少期を送った1950年代から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍から、当時の共産党政権が育て上げようとしていた“理想の小国民像”を考えてみたい。それというのも“三つ子の魂百までも”の譬えに示されるように、政治の中枢に立った現在の彼らの振る舞いの芽は、彼らの幼い頃に植えられたのではないかと考えるからだ。

中国で1950年代後半から60年代前半にかけて出版された児童向け書籍(画像:筆者提供)

 1955年の夏以来、共産党政権内部では経済建設の速度と農業の集団化を巡って、毛沢東が率いる冒進(急進)派と、それに異を唱える周恩来、陳雲らの間の対立が続いた。だが、1957年の反右派闘争勝利をバネに毛沢東が周恩来らの異見を圧倒し、1958年5月に開かれた第8回共産党第2回会議で大躍進が正式に採択されることになる。かくて「超英趕美」――鉄鋼生産第2位の英(イギリス)を追い越し、経済超大国の美(アメリカ)に追い着け――のスローガンを掲げ、(1)鉄鋼と農業の大増産、(2)農村における人民公社と公共食堂の建設が全国規模で展開された。

 大躍進政策を推進することで、そう遠くない将来、中国に共産主義社会を出現させるという強い意気込みで始めたものの、毛沢東が描いたバーチャルな世界は中国社会の現実の前に脆くも崩れ去り、惨憺たる結末を迎えざるをえなかった。工業部門の大後退に3年続きの自然災害が追い討ちを掛け、3000万から4000万人が餓死している。この当時、共産党政権は子供たちに何を求めていたのか。

「大躍進の悲劇」はなかったことに……

 大躍進政策決定直前の1958年3月に出版された『民間少年游戯』(顧也文編 上海文化出版社)は、浙江、江蘇、安徽、湖北、雲南、四川などの民間に古くから伝わる60種類の遊びを集め、イラスト入りで遊び方を解説している。一見すると他愛のない児童向けの書籍のようだが、「本書が集めた遊びは全て子供を対象とし、大部分は祖父から父に、父から子に伝わり現在に残されたものであり、日々の生活感が色濃く感じられる。民間に流布する他の遊びと同じように、我が国労働人民の智慧、勇気、誠実、朴訥さを明らかに示し、我が国労働人民の積極性、楽観性、勤倹性、労働に向う心意気という思想感情を伝えている」と書かれた「前言」からは、大躍進直前という時代の雰囲気が十分に伝わって来る。

 はたして当時の子供たちは、鬼ごっこや綱引きをしながら「我が国労働人民」の「思想感情」を学べたのだろうか。

 大躍進政策の悲劇が明らかになりつつあった時期の1961年5月に出版されたのが『游戯官』(林・張・王・楊編 潘晋華画 上海少年児童出版社)である。たとえば「誰と誰が話をしているの?」と題された絵には、糸がこんがらがった糸電話で遊ぶ6人の子供が描かれていて、それぞれの話し相手を探そうというのである。この本からは、政治的意図も思想性も、ましてや大躍進の悲劇など匂わせる記述は一切ない。

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