2024年4月20日(土)

Wedge REPORT

2011年7月11日

 ところが、この空港移転案に強く反対したのが民主党の福岡県連だ。当時、県連の代表にあったのは大臣就任前の松本龍氏。09年1月には福岡県の麻生知事(当時)との意見交換会で空港移転に反対を表明し、報道各社の取材に対して「(現在地のままで)滑走路の増設は選択肢になりうるが、新設は考えられない」と発言した。さらに、3月には民主党県連の常任幹事会が、近隣の空港と連携を強化することや現在の空港の運用時間を前後1時間ずつ延ばせば需要増にも対応できるとして、「巨大公共事業には同意できない」と反対の姿勢をはっきりと打ち出した。こうした県連の圧力に屈するかのように、福岡県は4月に新空港の建設を断念するとの意見書を国に提出してしまう。

 移設推進派だった福岡市議のひとりは「民主党県連は『ムダな公共事業を許さない』とは言うが、このままでは空港の赤字体質は改善されない。地主の利益を守るために空港移転に反対したのではないかと勘繰りたくなる。松本さんはまるで今の福岡空港の守護神だ」と残念そうに語る。   

 事実、08年1月29日付けの西日本新聞は、福岡空港が米軍から返還された72年から06年までの35年間で国が支払った借地料や騒音対策費を合わすと4400億円に上ると報じている。これだけの巨額の経費を今後も払い続けることを考えれば、新空港の建設と現空港の維持、どちらが負担が少ないのか分からなくなってしまう。

せめて被災者支援だけでも…

 福岡空港は、朝鮮戦争で米軍の出撃拠点として利用された歴史をもつ。松本氏の祖父・治一郎氏は、その朝鮮戦争が休戦した直後の54年に、米軍の軍事目的のために福岡空港を利用することは憲法9条に違反するとして自らが所有する土地を明け渡すよう国を相手取って訴訟を起こしている。最高裁まで争い、敗訴が確定したものの、治一郎氏は国からの借地料を拒否し続けたという。借地料を受け取るようになったのは、松本氏と実弟が相続してからだ。実弟は取材に対し高額な相続税をまかなうため借地料を受け取ることにしたと説明するが、治一郎氏の秘書だった楢崎元議員は「反骨心が強かった治一郎先生ならば、国から借地料を受け取ることを叱りつけていたに違いありません。先生は一代で資産を築いた一方で、困窮した市民に炊き出しをするなど身銭を切って弱者を支援することばかり考えていた人でしたから」と嘆く。

 せめて松本氏には復興担当大臣として、苦境にある被災者の支援にあたってほしかったのだが…。それも叶わずに辞任してしまった今回の騒動。やはり治一郎氏に叱りつけられはしないだろうか。
 
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