2024年4月20日(土)

栖来ひかりが綴る「日本人に伝えたい台湾のリアル」

2018年10月23日

「赤字経営」を支え続けたパトロンの存在

 2017年に惜しまれつつ亡くなった誠品書店の創業者、呉清友氏が誠品書店を始めたときに述べた深い言葉がある。

「わたしが開くのは書店ではなく、読書を広める場所だ」

 美術作品の収蔵家で、ずば抜けた「目利き」としても知られた呉清友氏だが、誠品書店がここに来るまでの道は決して平たんではない。『台湾文学と文学キャンプ―読者と作家のインタラクティブな創造空間』(東方書店/2012)などの著書を持つ、台湾文学研究者で大妻女子大学准教授の赤松美和子氏はこう語る。

「誠品書店は、多様な個性を持つ書店の誕生を導き、本を中心に人が集う新たな書店文化を築いてきました。しかし最初から経営が順調だったわけではありません。十数年間も続いた赤字の時期、それを経済的に支え続けたのが、電子部品メーカーのペガトロン会長・童子賢氏です。童氏は、台湾に誠品書店のような文化的ランドマークが必要だとの思いから、支援し続けたそうです。文化創造のために様々な形で応援・支援する個人サポーターも、台湾の文化を語る上で欠かせない存在だといえます」

 1960年初頭よりOEMを中心に電子部品を作ってきた台湾の中小企業は、常に抜きんでたコストカットを実現することで国際的なシェアを誇るようになった。しかしその反面、極端な「CP(コストパフォーマンス)」を追いもとめる姿勢が、台湾社会の文化や生活面に多くの弊害を生んでもいる。一方で、台湾独自の文化を確立することで台湾の付加価値をあげ、結果的に自社のブランディングにも成功したのが、ペガトロンなどの企業である。

 ペガトロンの童子賢会長は、自身の事業においても単なる電子機器の受託生産ではない、設計・製品企画を請け負うOIM(Original idea manufacture)と位置付けて徹底的な付加価値向上をはかり、世界的企業に成長させた。パトロンとして長いあいだ誠品を支えてきた事とその経営姿勢とには、非常に一貫した思想を感じる。

誠品を創った呉清友氏が手掛けた最後の仕事は、中山駅地下道書店街の再開発(写真:筆者提供)
270メートルに及ぶ地下街が、読書をはじめ、音楽やライフスタイルを愉しむ空間に生まれ変わった(写真:筆者提供)

 日本でいえば九州ほどの大きさの島の中から、自転車のGIANTやパソコンのASUS、Acer、カヴァラン・ウイスキーを作った金車グループなど世界レベルの企業が多く誕生している理由は、台湾という場所ぐるみでの成長とブランディングを目指した企業戦略の賜物であり、それらを背景として誠品もここまで来たといえるだろう。


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