「誠品書店」がついに日本へやってくる――。1989年の開業以来、台湾文化を牽引してきた同店だが当初は赤字続きで、その経営を陰で支えるパトロンの存在があったという。そして、誠品書店をこよなく愛する筆者が、日本での開業に期待することとは――?
2006年から台湾台北市で暮らすようになった。その頃の台北といえば、美味しいパンやケーキにありつくのは至難だった。日本式ラーメン屋さんのスープは総じて薄く(日本より薄味を好む台湾人の味覚に合わせたため)、カフェだらけの今の台北からは想像もつかないほどコーヒーを飲むことも一般的でなかった。当時、そんな筆者にとって心のよりどころだったのが誠品書店である。
夜中であってもそこに出かければ、みんな思い思いの場所であらゆる国からきた雑誌や本を読んでいた。本を眺め飽きたら、カフェに座ってコーヒーやベルギービールを飲み、地下の音楽ショップでCDを視聴して、誠品セレクトのワインを買って帰る。館内のギャラリーでは、地元のコンテンポラリーアーティストや、若手プロダクトデザイナーの作品も鑑賞できる。これらすべてが一軒の本屋さんの中で完結する。そんな場所はその頃、東京にもなかった。だから誠品書店は2011年にオープンした代官山T-SITE(蔦屋書店)のロールモデルになったとも言われた。
そんな「台湾の誇り」とも言える誠品が、ついに日本へやってくる。書店を含むライフスタイルを提案する「誠品生活」で、三井不動産が開発する日本橋室町の再開発ビルにメインテナントとして、2019年に開業予定という。
みんな誠品書店で大きくなった
今やアジアを中心に世界で46店舗を展開する、台湾を代表する企業のひとつとなった誠品。もともとは欧米のインテリア設備や建材を輸入する小さな会社だったが、創業者で台南出身の呉清友氏が自身の心臓の手術をきっかけに一念発起し、本屋として開業した。38年に及ぶ世界最長と言われる戒厳令が解かれた2年後、1989年のことである。
当初は現在の本店(敦南店)の手前にある仁愛ロータリーの、地下から天井までが吹き抜けになった瀟洒な建物の中にあった。品揃えは建築やアートの専門書が中心で、「誠品」の黒い会員カードは当時の台北の文化系青年たちの自慢のアイテムだったという。1995年に現在の本店(敦南店)の場所へうつり、1999年より24時間営業となる。文化、芸術、ライフスタイルをまたいでオルタナティブな価値を創造した誠品書店は、いま台湾で活躍するクリエイターや文化人に多大な影響を与えてきた。みんな誠品書店で大きくなった、といっても過言ではない。
最近でこそ街のあちこちにお洒落なお店やカフェも増えたが、かつては日本の都会に比べてお世辞にもお洒落な都市とは言い難かった台湾。そんな台湾において、どうして誠品書店のような存在が生まれ得たのだろうか?