受け取った叙勲の勲記を両手で高々と掲げた。相変わらず、ほとんど表情は崩さない。細い体に細い目。どうみても台湾によくいる小老闆(中小企業の社長さん)にしか見えないこの人が、創業から40年間を費やし、GIANTという台湾の町工場を、世界の自転車完成車メーカーのトップ、名前通りの自転車界の「巨人」に育て上げた劉金標元GIANT会長である。
その劉氏に対し、今年の秋の外国人叙勲で旭日中綬章が与えられた。11月23日、台北の駐台日本代表公邸で、沼田幹夫代表から勲記と勲章が伝達された。現在84歳になる劉氏は、かつての日本語教育のために流暢にしゃべれる日本語での挨拶で、感慨深げにこう語った。
「GIANTは1972年に創業しました。当時、台湾の工業水準は低く、質の高い日本製品に追い付くため、日本の多くの企業から最先端の指導を受けました。それだけに今回の叙勲は嬉しいものです」
自転車文化の伝道師
劉氏は、1934年台湾生まれ。貨物業やウナギ養殖など、いろいろな事業を手がけて何度も挫折を経験しながら、1972年に自転車部品会社を設立。会社を大きくしたいという思いから、「巨大」という名前をつけ、英語名も「GIANT」にしたが、最初は従業員数十人の町工場のスタートだった。
世界的な自転車ブームに乗って生産を拡大する米国や日本のメーカーの部品や車体の受託生産(OEM)を行いながら何度か倒産の危機を乗り越え徐々に会社を大きくした。1990年代から自社ブランドの確立に傾注し、高付加価値の自転車を生産しながら、受託生産も続ける両にらみの戦略が当たり、近年、完成車メーカーでは世界一の生産高を守っている。
同時に「自転車は文化だ」という信念のもと、「自転車新文化基金会」を設立して、2007年には73歳の高齢で自転車による1000キロの台湾一周を成し遂げ、台湾全体に自転車文化が広がるきっかけを作った。馬英九・国民党政権下では総統顧問も務めて「環島一号線」の整備に尽力した。
2012年には、しまなみ海道サイクリングロードを走って愛媛県・広島県へGIANT方式によるサイクリング普及を伝授した。こうした動きは滋賀県の琵琶湖一周「ビワイチ」やその他の地方に飛び火し、各地からGIANT方式へのラブコールが相次いでいる。
劉氏は自らを「自転車文化の伝道師」と位置付けているが、叙勲受章の理由も主に日本へのこうした「布教」が評価されたものだ。