「社長なんて長くやるものではないよ」。日産自動車の元社長辻義文さんが社長を辞める直前に言われた言葉だ。社長就任後4年経ち、マスコミは後2年続けるとの観測を流していたが、ご本人に去就を尋ねたところこの発言だった。
かつての日産社長の行動は、今報道されているカルロス・ゴーンさんの行いとはかなり異なるものだった。ゴーンさんの事件を契機に歴代の日産の経営者に関し様々な記事が出ているが、辻さんから聞いた話を中心にかつての日産経営者にまつわるいくつかのエピソードを紹介したい(辻さんと私は年齢が随分離れているが、親しくお付き合いさせていただいた)。
社長は豪華ホテルが好み?
バブルが弾けた直後、東証一部上場企業の役員が日本からニューヨークに出張で来られた。宿泊されたホテルは、プラザとかウォルドルフ・アストリアのような大規模ホテルではなく、アッパーマンハッタンにある当時日本人はまず宿泊していない小規模な高級ホテルだった。
当時私は米国に駐在していたが、日本からお土産を持参したのでホテルまで取りに来て欲しいと連絡を戴きホテルに出向いた。ロビーから部屋に電話しようとしたが、館内電話が見当たらなかったでフロントで部屋番号を尋ねたところ、名前を聞いただけでリストも見ずに階数を教えてくれ、エレベーターに案内してくれた。驚いたのは、エレベーターにボーイが乗っており、宿泊している役員の名前を聞いただけで、部屋番号を教えてくれたことだ。フロント、エレベーターの係員は全ての客の部屋番号を暗記していたのだ。本当の高級ホテルとはこういうものだと知ることになったが、部屋代はいったいいくらだったのだろうか。
日本の大企業の社長となれば、出張時に宿泊されるホテルの部屋ランクは無論のこと、室温から湿度調整の依頼まで秘書部が連絡してくることもある。焼酎のお湯割りが好きなある社長が好むお湯の温度まで連絡が来たこともあった。食事の際に社長がお湯割りを飲まれ、「パーフェクト」と言われたことから、秘書部が忖度しているわけではなく、社長が指示しているものだろう。指示された方は堪ったものではない。
大企業の役員、社長となれば、出張時にはかなり我儘なのだが、辻さんは違った。辻さんが東南アジア出張時シンガポールから帰国する予定だったところ、フライトがキャンセルになり、シンガポールに一泊することになった。大企業の社長となれば、一流ホテルを直ぐに手配しそうなものだが、辻さんは航空会社が手配したホテルに宿泊した。「変なホテルだったら嫌だね」と秘書とホテルへ行く航空会社が手配したバスの中で話をしていたら、まともなホテルだったので安心したと笑って話されていたが、日産の社長が航空会社手配のバスに乗り、ホテルに宿泊されたことに驚いてしまった。
多くの大企業の社長は航空会社手配のホテルへの宿泊は敬遠するだろう。ゴーンさんだったら、航空会社手配のバスに乗り、手配のホテルに宿泊しただろうか。日産の経営者がプライベートジェットを利用し世界中に豪華な宿泊先を用意するようになったのは、いつからだろうか。
公私混同は許されない
ゴーンさんは、ブラジル、あるいはベイルートに豪華な住宅を構えていると報道されているが、ゴーンさんが売却するまで、日産の社長は品川御殿山にあった社長用社宅に住んでいた。辻さんも、1992年社長に就任した後都内の自宅から社宅に移られた。社宅にお邪魔したことも何度かあるが、公私の区別は厳しかった。社宅の中は、私用部分と公邸として利用する部分に分かれていたが、公邸として使用する場所への立ち入りは辻さんから禁止されていた。
社長、会長時代にはプレジデントを公用車として利用されていたが、個人用に別の日産車を持っておられた。私用は自分で運転されて出かけられていたが、あまり運転しないように秘書から言われていると困った顔をされていた。
会長を退任された後、当時銀座にあった日産本社の近くで偶然お会いしてことがあるが、地下鉄で通勤されていたようだった。自動車会社の元社長が、退任されたとは言え、車の提供がなく地下鉄で通勤されているのに驚いた。