使えない上司・使えない部下

2019年2月14日

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 今回は、元プロ野球選手の柳田真宏さん(71)に取材を試みた。柳田さんは1948年、熊本県生まれ。九州学院高校卒業後、ドラフト2位で西鉄ライオンズに入団。その後、1968年に巨人軍にトレードで移籍。「黄金時代」と言われるV9(1965年~1973年まで9年連続、日本1)では、代打の切り札として大活躍。その後、外野手のレギュラーとなり、1977年には打率3割4分、本塁打21本、67打点で、「巨人軍史上最強の5番打者」と呼ばれる。1982年に引退し、1983年に演歌歌手としてデビュー。現在は、八王子市内でスナック『まむし36』を経営する一方、講演や少年野球教室の講師などを務める。

<成績>1079試合/2302打数649安打/99本塁打/344打点/48盗塁/313三振/打率.282

(artisteer/gettyimages)

あれほどの選手たちをチームにまとめるのは、すごく難しいことです

 V9の時代は、僕はV5から参加させていただいたのですが、レギュラーががっちりと決まっていました。ピッチャーは別として、森(昌彦)さんがキャッチャーで、ファーストが王(貞治)さん、セカンドが土井(正三)さん、サードが長嶋(茂雄)さん、ショートが黒江(透修)さん。レフトが高田(繁)さん、センターが柴田(勲)さん、ライトが末次(民夫)さん。西鉄(ライオンズ)から来たばかりの自分とは、レベルが全然違いました。

 キャンプのとき、1つの部屋に選手が2人ずつ入るわけです。同じポジションの人と一緒の部屋と決められていたから、僕は末次さんや柴田さんが多かった。2人に打撃のことを「教えてください」と尋ねると、いろいろと丁寧に教えてくれました。プロとしてのプライド? そんなところで、僕はプライドを持っていませんよ。末次さんや柴田さんたちは、自分にないものをたくさん持っていましたから…。教えてほしいことは、どんどんと聞きました。当時のジャイアンツのレギュラーの選手は、若手が伸びてくると、自分も負けないようにもっと努力するんです。

柳田真宏さん

 僕はプロにいる間に5人の監督に仕えましたが、最も影響を受けたのは、川上(哲治)さんでした。V9の頃、「ON(王選手と長嶋選手)がいて、あれだけのメンバーがそろっていれば、誰が監督をしても優秀できる」と言う人が多かった。僕がいざ、巨人に入ってみるとそれは違うんじゃないか、と思い始めた。あれほどの選手たちをチームにまとめるのは、すごく難しいことです。

 川上さんは、チームの方針付けをコーチだけでは決めなかった。1軍の選手全員で決めるんです。たとえば、守備のフォーメーションを話し合うとき、川上さんが「もっといい動きはないか、みんな? よし、採用したら5万円を支給する」と言うんです。監督賞ですね。ほとんどを土井さんが持っていきました…。西鉄のミーティングのレベルとは全然違いました。もう群を抜いていますよ、はっきりいって…。監督やコーチ、選手たちの意識が高い。ものすごい努力をする選手たちばかりでした。

 試合中、コーチから「川上監督の横に座れ!」と言われるんです。監督は、独り言を言われるんですよ。例えば、ノーアウト、ランナー3塁のときに、まず、バッターは外野フライを打つことが最低条件です。監督は、「外野フライを打つためには、低めの球よりも、高めの球を打ったほうが上がりやすい」と基本的なことをベンチで言う。バッターが低めの球を打ちにいくと、「何を考えているんじゃ。1球目から、あんな低めを打つのか」と言われる。「外野フライを打つためには高めだ。高めが来るまで待つべきだろう」とか、1人でぶつぶつ言うんですよ。それを、僕らは試合中に聞く。監督はこわ面でしたが、言っていることは勉強になることが実に多かったし、的確でした。

 「毎日努力しろ。毎日、努力をする人は、いつかは運をつかむ」

 さすがに王さんとか、長嶋さんは別ですけどね…。監督も、ONには黙っていました。絶対的な信頼を持っていたし、チームの柱ですから。あえて言わなくても、あの2人は十分にわかっていました。たとえば、王さんが三振した直後、歯を見せることはなかったでしょう? 苦笑いをしたり、首をかしげると、ほかの選手は、「王さんが打てねぇのか…」という雰囲気になるわけですよ。みんなが、「今日の試合はやばいぞ」いうムードになってしまうでしょう。

 だから、王さんは毅然としていました。王さんでも、三振をするとイライラするんでしょうね。当時、後楽園(球場)にはベンチの裏に大きな鏡があって、選手たちは試合中、その前でバッドスイングをして、フォームを確認するんです。三振した後の王さんは、怖い。鏡の前にいるときは声を掛けられないですもん。ものすごく真剣な顔で、迫力がありました。

 王さんは、「努力は報われるんだ」と選手たちによく言われていました。その場では僕らは、何も言わなかった。みんなで休憩するとき、「王さんだから、あんなことを言えるんだ。あそこまで大成功しているから、言えること。俺らだって、努力している」って言うんです。僕も、朝5時までバットを振ったりしていましたもん…。ほかの選手も、それくらいの練習はしていました。王さんに言わせると、「もっと努力が、練習が必要だ」となるんです。すごいですよ、あの方は…。長嶋さんも打てないときは、コーチの福田(昌久)さんが来て、2人でティーバッティングをずっとしていました。

 川上さんが、勝つための野球を徹底させていましたからね。「バットは手に届くところにいつも置いとけ」とよく言われた。「トイレに行くときにも、バットを持っていけ。用を足しているときに、バットを横に置いて、グリップを握り、スイングを考えろ」。そりゃもう、徹底していましたよ。それが、勝つための努力なんです。王さん1人じゃない。選手全員が、すさまじい努力をしていた。僕は、そのことを言いたい。だから、あの時代の巨人は強かった。9年連続で日本一になったんですよ。

 川上さんは、よく話していました。「運のいい、悪い時期は誰もがある。周期で運は回っている。だから、日々努力しないと、いざ、チャンスのときにそれをつかめない。毎日努力しろ。毎日、努力をする人は、いつかは運をつかむ」。つかむことによって結果が出れば、自信につながるじゃないですか…。そしたら、もう1つ上の段階に上がり、新たに悩み始めて、成長できるんです。「そのためには、試合に出なくても、必ず毎日バットを振ることが必要だ。努力をしておかないと、代打などで使われたときにもつかめない」と言うんです。

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