前回まで議論のことを縷々述べてきた。論理的な議論を経て結論を出すと、行動しなければならない。行動して失敗した場合は、誰かが責任を取らされる。責任を取った人は咎められるから、誰もが責任を取りたくない。責任を取りたくないから、行動をしない。行動できないから、議論もタブーとなる(参照:失敗の責任を誰が取るのか、日本企業の落とし穴)。日本企業の中では、なかなか議論がしづらい。議論の結果、不利益になる当事者が現れると、具合が悪い。身近な事例を挙げよう。
「払込用紙」がいまだ健在という驚き
先日、某生命保険会社にメールを入れた。自分の生命保険料の払込みはあと残り1年となる。毎月の支払いは面倒だし、一括前払いしてしまえば、若干の割引もあるから、保険会社に連絡して手続を依頼する。
折り返しの電話がかかってきて一通りの確認を終えると、では払込用紙を日本国内の住所に送るから、それで郵便局や銀行の窓口で払ってくださいと担当者がいう。払込用紙?死語と思われるこの言葉を聞いたのは何年、いや、十何年ぶりか。海外生活の長い私は純粋に驚いた――。日本には払込用紙たるものがいまだ健在なのだ。
「私は海外在住なので、ネットバンキングのオンライン支払先を教えてください」と言うと、「それはできない」と言う。払込用紙がダメなら、「ご来店いただくしかない」と。「海外からその支払いのためにわざわざ日本へ飛ぶのか」と問えば、「そういうことになってしまいます。大変申し訳ありません」。丁寧なご案内だが、笑うに笑えない。
某生命保険のような大企業は真剣にIT化しようと思えば、そう難しいことではないはずだ。半年や1年もあれば、すべてがオンライン化できるだろう。やらないだけ。なぜやらないのか。この規模の大企業なら、IT化の議論はしないはずがない。議論の結果として、オンライン化をやらないことになったのか。それともセンシティブな部分だけ議論を避けたのか。知る由もない。
払込用紙や来店支払い、そうした前近代的な支払い形態を存続させる理由は何だったのか。好奇心に駆られて金融業の友人に聞いてみた。推測ベースだが、2つの大きな理由を挙げられた――。1つは高齢者問題、もう1つは雇用問題。