迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年6月5日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

 5月、経団連の中西宏明会長やトヨタ自動車の豊田章男社長が相次いで日本における終身雇用制度の継続が難しいとの認識を示し、雇用慣行の見直しを呼びかけた。これはもはや、日本産業界の終身雇用に対する「終末期宣告」と認識すべきだろう。

「善悪の二極化」は危険

 終身雇用の継続が難しい。これは何も今になって分かった話ではない。数年ないし十数年前から状況に気付いた経営者や従業員は大勢いただろう。ただタブー化された話を誰もが堂々と言い出せなかった。それだけのことだ。今回は財界の大物がそろって明言したことで、やっと事実が確定したという感じだった。

 これを受けて、終身雇用を悪者扱いするような論調も出始めた。終身雇用があたかも日本企業や日本経済の成長を妨害する元凶であるかのように表現すれば、それを切り捨てることへの納得感も得られてよいのかもしれないが、単純な善悪の二極化ほど危険なものはない。まずは失敗の本質を突き止めてから、次の一歩を踏み出すべきではないだろうか。

iStock / Getty Images Plus / taa22

 必ずしも妥当とは言えないかもしれないが、戦争を例にすると分かりやすい。戦前や戦争を全否定するのは簡単だが、「なぜ戦争に突入したのか」「なぜ戦争に負けた(勝てなかった)のか」「もし戦争に勝っていたら、それでも戦争を否定するのか」を問うには勇気が要る。

 あえて言うならば、日清戦争や日露戦争で日本は戦勝し、大きな賠償金を得たことやアジアの近代国家と認められて国際的地位が向上したこと、そして戦争で潤った国内経済のおかげで産業が発展し、工業化の第一歩を踏み出したことを目の当たりにして、戦争は儲かる手段だと当時の日本人は安易に考えた。そうした歴史的事実を忘れるべきではない。

 大東亜戦争には日本が惨敗した。それで一転して戦争を全否定する。これもまた思考停止の表れではないだろうか。言いたいのは、「戦争を否定する以前に、なぜ、かつて日本人が戦争を肯定したのか」という問いをタブー視すべきではないということだ。

 少々脱線したので話を戻そう。終身雇用はなぜ、日本社会に定着したのか、これを考えてみたい。

「人材育成」の正体とは?

 戦後の日本はひどく弱っていた。経済の復興需要が産業界に大きなポテンシャルを与えた。物不足の時代、人口増加の時代、いずれも大量生産のニーズにつながる。このような経済・社会環境には、終身雇用制度が非常に適合していたことから、うまくいったという通説がある。この辺は、すでに多くの研究報告があり、総論としてはまったくその通りなので割愛する。

 もう少し突っ込んだ話をすると、まず終身雇用制度で企業はどのような利益を得ていたかということだ。

 「人材育成」。日本企業であたりまえのように使われている人事用語である。意味を調べると、「将来のために、有用な人物、専門的な知識を持った人物を育てること」(デジタル大辞泉)となっている。もう少し詳しい解釈だと、「長期的視野に立って現実に企業に貢献できる人材を育成すること。単に教育、訓練といった狭義の活動ではなく、主体性,自立性をもった人間としての一般的能力の向上をはかることに重点をおき、企業の業績向上と従業員の個人的能力の発揮との統合を目指す」(ブリタニカ国際大百科事典)と解説されている。

 「人材育成」の英訳は、「capacity development」というが、日本語のそれとニュアンスがだいぶ異なる。日本語に訳すと「人間のキャパを開発する」、要するに「器を大きくする」という意味になるが、上記日本語原文の「長期的視野」や「広義的人間性・一般能力の向上」といった含意を持たない。

 文化的に日本語の漢字ルーツである中国語を見ても、「人材育成」という言葉は見当たらない。明らかに、「人材育成」というのは日本企業に特有なシステムといえる。人材育成の最大の優位性は何かというと、「教育投資の効率性」である。

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